曹洞宗愛甲郡小野村
龍鳳寺の末寺
青面金剛尊霊場(札所)
青面金剛は中国の道教が基礎となった庚申信仰の本尊です。庚申信仰では、人の身体には三匹の虫「三戸(さんし)」がいて、庚申の日の夜には人が寝ている間に抜け出し、天帝に宿主の罪科を報告すると考えられています。悪行が伝わると寿命を短くされてしまうため、皆で集まって徹夜する「庚申待ち」という風習が生まれました。
この会合を「庚申講」と呼びます。庚申講は平安時代から貴族に広まり、やがて民間でも盛んとなり、夜通しの酒宴へと変化していきました。仏教では、青面金剛は帝釈天の使者で、悪霊を払い除く力があるとされています。
このあたりでは、民衆は個人的な信仰行事ではなく、近隣の人々が集まって集団信仰の形で行っていたようです。庚申の日の夜に決められた家に集まり、「青面金剛」の像を描いた掛げ軸を下げて礼拝し、自分自身や家族の健康と長寿などを祈りました。
その後は飲食や歓談などをして賑やかに夜明けを待ちました。このような集まりが定常化して“庚申講”と呼ぶ組織が作られ、講の人々が共同で庚申供養塔を造立し、それを信仰の証にするとともに講の仲間の結束を図ったのでした。
また一面では、60日ごとの庚申行事は日頃の労働に追われて娯楽が少ない庶民にとっては慰労の機会となり、また互いに日常の協力の絆を強めるための社交の場でもあったと考えられます。
勝坂の金沢山勝源寺は、曹洞宗愛甲郡小野竜鳳寺末で開山は笑山充間(寛永五年没)、開基は村民伊右衛門(寛永10年没)である。ここの青面金剛は明治時代に養蚕祈願の庚申さまとして賑わったお寺です。