青面金剛とは、諸々の悪鬼や悪霊がもたらす難を取り除く大威力をもった神で、同時に病気の結核(伝尸病…でんしびょう)の予防と治療を祈願する修法の対象とされています。そのような功徳から道教の教えにある「三尸の虫」の駆除を願って青面金剛を信仰することが起こり、それが中世以降に庚申信仰と結びついて信仰の本尊となったといいます。
庚申信仰といいうのはごく簡単にいえば、人間の体内には三匹の虫が住んでいて、六十日毎に回ってくる庚申の夜、人間を抜け出して天上へ上がり、天の神様へその人の所業を全部告げてしまい、その言葉によって、神が人罰を下される。
だから庚申の夜は、虫が身体を抜け出さないように、徹夜で見張っていなければならない、というので、中国から奈良時代に(日本に)伝わり、上流階級から次第に庶民の間に広まったものです。江戸時代代にはだいぶ趣旨も崩れ、厳密に
養蚕信仰
両サイドの仏像は、蚕も飼育が始まる前に、お寺かな各家が借りて自宅に祀り、飼育が終わるとお寺にお返しする、という信仰があったそうです。
「六本庚申」と呼ばれる青面金剛像
明治時代に養蚕祈願の庚申さまとして賑わったのでしょう。
庚申の夜には行われず、飲食を主に夜更かしをして雑談でもする会に変わってしまっていたようです。
それに庚申の「申=さる」は、神話で道案内の神とされる猿田彦の命と混同され、道標を兼ねて庚申塔が建立されています。
「座間むかしむかし 第二十六集」
(座間市教育委員会 2004/3/30 発行より)