ずっと昔はここは極楽寺と同じ律宗の多宝寺と言うお寺があり、裏山には巨大五輪塔があり、その中には「多宝寺覚賢長老遺骨也」がありました。
その多宝寺については正確なところは判りませが、山号は扇谷山。開基は鎌倉幕府連署・北条重時の子業時とされています。
開山は忍性で1262年(弘長2年)、忍性はその5年後に極楽寺に移っています。覚賢はその後の住職だったのかもしれません。学堂のある学山、要するにお寺大学院。当時極楽寺・称名寺と並ぶ、西大寺系律宗の拠点寺院であったそうです。
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厚木 江戸時代、大山詣での街道沿いに「法界寺」
鎌倉 新田義貞が北条方の戦死者を弔う「九品寺」
創建は1336年 九品寺は、新田義貞が京より招いた風航順西が開山。この地は義貞が鎌倉攻めの際に本陣を構えたところとされ、北条方の戦死者を弔うために建立された。
1333年 新田義貞は5月8日自国を出発、徐々に軍勢を整え、鎌倉に攻め上った。5月22日 稲村ケ崎で“剣を投じて奇跡”を起し、そして一気に中心に向かって侵攻。材木座海岸からまわりこんで、この地に陣を構えた。 町の中はあちらこちらに火が放たれ、猛火が罪のない人々を襲い、阿鼻地獄のようになった。
北条方も勇猛に戦ったが利あらず、同日東勝寺にて、北条高時はじめ多くの一族郎党、八百七十余人が自刃したと 伝えられている。『太平記』
鎌倉では唯一の義貞が建立した寺で、山門の「内裏山」、本堂の「九品寺」の掲額は、義貞の筆蹟と伝えられている。