| 寿永二(1183)年、平家福原都落ちの際、病死した重盛の二男・資盛は、一族より離れこの地を訪ね、亡き父の菩提を弔うため五、六日逗留した。平貞能、京より重盛公の遺髪を持参し、五輪塔を建立し盛大なる法会を営む。 建武二(1335)年、小松寺は盛大となり、草谷(くさのたに)一帯の山麓を占め、伽藍も盛大だった。 延元元(1336)年二月、足利尊氏が九州から大挙東上の途中、弟直義と当寺に宿陣して軍義した。光厳院の院宣を受け錦旗を掲げ意気衝天した。 |
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相模原南区 仏師作による地蔵菩薩立像が残る「常福寺」
尾道 静かさを味わう「浄土寺から鎖場下へ」
鎌倉 深山幽谷の山寺といった風情がある「浄智寺」
相模原西部 庚申信仰の“青面金剛”が本尊「勝源寺」
尾道 浄土寺下から尾道大橋へ
鎌倉 鎌倉の苔寺といわれる「妙法寺」
厚木 明治時代に日本武尊が祭神に加えられた「小野神社」
尾道 四国の金刀比羅宮に向かって建つ「金毘羅大権現」
鎌倉 江ノ島弁天に恋した五頭龍が鎮座した「龍口寺」
福山 鞆 ほぼ一直線に結ばれた寺町にある「慈徳院」
尾道 ネコ好きに人気の「猫の細道」
鎌倉 鎌倉幕府の礎石 三浦大介義明の霊を弔う「来迎寺」
| 1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのがはじまり。 本堂の右には三浦義明の墓といわれる供養塔と、石橋山の戦いに敗れて三浦に引き返す途中で、平家方の畠山重忠(はたけやましげただ)軍に17歳の若さで殺された三浦一族の多々良良三郎重春(たたらさぶろうしげはる)の墓と伝えられている高さ2mほどの大きな五輪塔2基が並んでいます。 |
戦で多くの人が亡くなっていますね。世界には戦に変わるやり方で、権力を手に入れる民族もいます。インド・ナガランド州に、20世紀末近くまで「首狩り族」として名をはせた民族が住んでいます。この民族は、一対一で強者・長者に挑戦し、その首を取ることを名誉とする民族でした。
この行為をどのように見るか、悲惨なことと見るか、戦に比べればはるかに死者が少ないと見るか。
第二次世界大戦頃から、基地や軍需工場の攻撃から無差別攻撃に移り、戦いで多くの人が命を落とすことが普通になっていますね!



















