1988~89年に行われた潜水調査の模様や、その時に引き揚げられた物や調査の様子がわかる写真、そのほかの龍馬に関わる資料などが展示されています。
「いろは丸展示館」は、現存する浜蔵は7棟のうちのひとつです。
いろは丸事件ば、慶応3年(1867)4月、龍馬は海援隊を組織し伊予大洲藩から借げ受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗って長崎から大坂に物資(鉄砲)を運ぶ途中、岡山県六島沖(現在の同県笠岡市)で、紀州藩の蒸気船「明光丸」に横から衝突されたのです。明光丸は鞆港へ向けて、いろは丸を曳航しようとしましたが、浸水のため宇治府沖で沈没してしまいました。
このため両者は鞆の浦にとどまりの損害賠償について昼ゆ夜交渉を繰り返しましたが決裂し、舞台を長崎に移して再交渉を行いました。龍馬は、交渉の部隊を長崎に移すことで時間稼ぎをし、その時間を利用し、様々な工作を行ったようです。最終的に、龍馬側が賠償金を受け取る、ことでようやく決着しました。
この事件は、坂本龍馬が暗殺される半年前のことです。
まんが講談・龍馬の一生
学問的な展示でないところがいいですね。
日本初の商社は、1865年に坂本龍馬が立ちあげた「亀山社中(海援隊)」だという。
薩摩藩を出資者として交易の仲介や物資の運搬などを引き受け、外国から仕入れた武器を長州藩に提供するなど、現在の商社と同様の活動を行なっていた。
戦国時代もそうですが、明治維新も外国の干渉
で行われたようです。
江戸末期に陰険なやり方で日本を侵しにきた勢力がいました。その中で最も恐ろしいのがイギリスで、何しろ大海軍をもってユーラシア大陸の南を回り、インドを侵し、中国にアヘンを持ち込み戦争を仕掛け、その挙げ句、日本列島にやってきて日本の内政にまで
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1988~89年に行われた潜水調査の模様や、その時に引き揚げられた物や調査の様子がわかる写真、そのほかの龍馬に関わる資料などが展示されています。
介入し、「幕府を倒せ」と薩摩・長州をけしかけたのですから。
西郷隆盛や坂本龍馬に賄賂を渡し、「鉄砲を渡すから、これで幕府を倒せ。開国して自由貿易のマーケットをつくれ」と指示した。その指示に従い、“イギリスの飼い犬”のように動いたのが坂本龍馬だった
という。
長崎県にいまでも「グラバー邸」が国の重要文化財として残っていますが、グラバーは武器商人で、兵器をイギリスから運んでは日本人に売りさばき、戦争を煽りました。
グラバーからお金をもらって動いていたのが
坂本龍馬です。
坂本龍馬は倒幕に反対でした。幕府を残し、幕府のもとで開国して、世界で貿易を行う。貿易商社をつくり「イギリスみたいな経済大国になる」というわけで、この貿易商社が海援隊です。
(「世界と日本の見方」中西輝政著などより)