1753年広島国奉寺11世笑堂の開基と言われています。境内の山中の岩には釈迦や十六羅漢像など二十六尊者の石仏が刻まれています。
またこの寺の9世物外(もつがい)不遷は「柔術不遷流」の開祖で多くの弟子を抱え、晩年は幕末動乱の中、平和を願い奔走し旅中に果てました。武術の他にも多くの俳句や書画を残し「拳骨和尚」として親しまれています。
旧市街から見ると、ちょっと離れた西側にあります。
境内に入っただけでは気がつかないのですが、裏山にある“岩に刻まれた仏像群(磨崖仏)”は見もの、特別な世界観を作り出しています。
墓地がある斜面には、数多くの仏像か岩に刻み込まれています。ただし、お墓があるところより上は道がありません。双眼鏡などで見ることをおすすめします。(このあたりは花崗岩が風化した大きめの砂粒が斜面にあり、枯れ葉も多く、かなり滑りやすいのです。このような道のない斜面を歩きなれた人以外は、登らない方がよいでしょう。)
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【9世物外(もつがい)不遷】
幕末の頃、尾道の西、栗原の済法寺に「拳骨和尚」の名で知られた物外和尚がいました。怪力無双で武芸十八般に秀で、仏学儒学から俳句書画三味線までたしなんだ一面、憂国の志もあつく、お国の多事の
際には諸国を廻って国事に奔走しました。
和尚はある日、江戸の骨董屋で見事な碁盤を見つけましたが、折悪しく代金の持ち合わせがなかったので、手付け代わりに碁盤に拳骨を入れました。この碁盤は今も尾道は済法寺にあり側面に拳骨の後をくっきりと残しています。
尾道民話伝説研究会 編「尾道の民話・伝説」
(2002年5月刊)より転載