「かんざし灯籠」の伝説
……ある日、だんなが息子を呼んで言うた。
「おまえ、お茶子ふぜいと付き合うとるそうじゃが、立場を考えにゃいけん。うちは浜問屋じゃけえのう」
「浜問屋とお茶子がどうして結婚してはいけんの」そんな親と子のやりとりが何日も続いた。……息子がつれてきた娘を父親はじろじろと見まわした。
べっぴんさんじゃし、言葉づかいもていねいじゃし、気立てもよさそうじゃ。……「あんたべっぴんさんじゃし、言うことはないけどのう、今時の娘がかんざし一つ差しとらん。かんざし一つ差しとらんような者を、うちの嫁にするわけにはいかんのじゃ。すまんがうちの息子との結婚はあきらめてくれ」……そう言われて娘は悲しかった。
この日のために親が無理して買うてくれた着物と履物。じゃが、かんざしまでは手が届かんかった。娘は親の気持ちを考えると、ただただ、せつなかった。 両親の顔が浮かんでは消える。
気持ちのやさしい娘は心の中で両親にわびながら、その夜、明神さんの近くの井戸に身を投げて死んだんじゃ。
それから間もなく、雨の日に女の幽霊が出るという噂がたつようになった。
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鎌倉 鎌倉らしさを漂わせる「覚園寺」
福山 江戸時代末に建築された建物「鞆の津の商家」
日蓮が佐渡国に流刑になるとき立ち寄った「圓教寺」
鎌倉 日蓮が一時、この夷堂に滞在「本覚寺」
尾道 手水に石造の神亀が「艮神社」
厚木 源頼朝側室後の局、祭神小町姫に祈願「小町神社」
鎌倉 桟敷尼が日蓮にぼた餅を差し上げた「常栄寺」
尾道 裏山の自然石に彫られた十六羅漢「済法寺」
鎌倉 鎌倉五山のうちの一つ、幽谷の山寺だった「浄智寺」
福山 鞆 朝鮮通信使の常宿でもあった「南禅坊」
鎌倉 北条一門の霊をなぐさめる「宝戒寺」
尾道 疫病退散祈願のベッチャー祭「吉備津彦神社」
相模原市南区 2012年4月出火、その後再建「下溝八幡宮」
厚木 もとは天台宗、鎌倉時代に日蓮宗に改宗「戒善寺」
鎌倉 かくれ里の稲荷が頼朝の夢に「佐助稲荷神社」
尾道 海に続く公園がある「尾道駅前海岸」
座間 源頼朝在世中に坂東八番の札所に「星谷寺」
福山 鞆 いろは丸事件の談判をした「福善寺対潮楼」
鎌倉 高い道のところに置き去りにされた「成就院」
平安時代の初期、真言宗の開祖の空海がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法(真言を百日間かけて百万回唱えるというもの)を修したという霊跡に、1219年に鎌倉幕府第三代の執権北条泰時は京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立し、普明山法立寺成就院と称した。
坂の頂部にあり、昔の高い道のところに置き去りにされた格好。しかも高いところを桐くづした道路の対面にも墓地がある。
順徳天皇の1219年11月21日に開かれたが、その後兵火にあい、他へ移っていたが江戸期にまた当地へカムバック。
寺宝としては、星の井から出た明星石のほかに本尊不動尊明王、繊細なきり金文様をそなえる千手観音像。それから文覚上人荒行像と呼びならわされているユニークな小像を持っている。