磐台寺観音堂(臨済宗)
1570~73年(元亀年間)に、毛利輝元によって再建された観音堂で、国の重要文化財に指定されています。急峻な岩肌に、青々と飛沫をぶつける瀬戸内の海。その荒々しい自然の中にあって、この異国情緒漂う朱塗りの観音堂が、妙に調和して見えるから不思議です。
その美しさは古くから名高く、安藤広重の浮世絵や、志賀直哉の小説「暗夜行路」の中でも取り上げられているほど。一度は訪れてみたい名所です。
TEL.03-1234-0000
〒163-0000 東京都○○区○○○1-2-3
円教寺に伝わる話
鈴木弥太郎貞勝は、龍ノ口で日蓮上人に向かって振り上げられたものの、光る玉の出現で3つに折れた刀、「蛇胴丸」を作った人。
そしてあの事件の翌日9月13日、昨夜のうわさを聞きつけた鈴木弥太郎貞勝が、依知の本間屋敷に向かって相模川を渡る前にぜひ自宅にお立ち寄り下さいと申し出たことにより日蓮の一行は貞勝の屋敷で休息を取ることになりました。 このとき貞勝は日蓮の教えに入信し、円教坊(えんきょうぼう)という名をいただきました。円教坊はこのあたりの水が刀作りに適さないことを話すと、日蓮は石に南無妙法蓮華経の文字を書き、「三十番神」(さんじゅうばんじん)をまつって地面を掘りました。その時わき出た泉がこの番神水だというのです。
蛇苦止明神(じゃくしみょうじん)
比企ヶ谷(ひきがやつ)で能員(よしかず)が滅ぼされたとき、能員の娘で、若狭(わかさ)の局(つぼね)と呼ばれた一幡の母が家宝を抱いて井戸に身を投げ、蛇(へび)に化けて今も家宝を守っていると、言い伝えられています。
その後、執権北条政村(まさむら)の娘が、もだえ苦しむ不思議な病気にかかりました。うわごとをロぱしり、蛇のようにのたうちまわるのです。そのうわごとから、若狭の局の亡霊が、北条一族にとりついて、うらみを晴らそうとたたりをしていることがわかりました。政村はえらい僧に祈祷をたのみ、若狭の局の霊をまつる祠(ほこら)を建てて供養したところ、娘の病気が治ったということす。その祠が蛇苦止堂だと伝えられています。

尾道には時宗の寺院が六ヶ寺あり、全国的に見て、一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しいそうです。
時宗は一遍上人が開祖で一踊り念仏」で知られています。念仏を唱えながら、鉦(かね)や太鼓を叩いて踊るというのが踊り念仏で、民衆のなかに融けこみ布敵しました。鎌倉時代に盛んになりました。
時宗寺院は、人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなっていたようです。
外留学の先覚者土居咲吾が、この正授院でも英語塾を開いて後進を導いた。
勝海舟の卒いる咸臨丸へ便乗を許され、福沢諭吉らと共に万延元年(1860)我が国を発しアメリカに渡り英学を修めて帰国した。
帰朝後、父が病死し家業をつぐため尾道に帰ったが、芸州藩では幸作を士籍に列し、アメリカ仕込みの新知識としてこれを厚遇した。
その後、軍艦買入密航事件のため一時禁固刑に処せられたが、これは表面だけのことで、久しからず刑を解かれ、このあと感ずるところがあり「土居咲吾」(土に居して吾を咲う)と改名、明治元年三原藩が今の糸崎町に開設した三原洋学所の取締方となり、また長江一丁目、正授院にも英語塾を開いて後進を導いた。