信行寺(浄土宗)
尾道市東土堂町  標高:25.0m
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 1214年に浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来。元は聖光が向島の三ツ石に一草庵を結んで住んだのがはじめである。

 1596~1614年に住職称住がこの草庵で四十八夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、1603年現在地の下の山陽線路上の辺に移った。

 1891年山陽鉄道が開通したので、堂舎を現在地に移した。
 「浄土宗」は、誰でも悟りに至ることができる教えで、自分の力だけでは無理でも、阿弥陀仏の力を借り、阿弥陀仏が私たちのために用意いただいた極楽で修行するなら、私たちでも悟れるであろう、という教えです。
 では、その阿弥陀仏とはどのような仏かと申しますと、私たちのような修行に堪え得ない普通の者を救おうとして修行を積まれ、仏となられた方です。
 多くの仏の中で、特に阿弥陀仏に依るのは、まさに阿弥陀仏が私たちのような凡夫を救おうとされているからといえます。阿弥陀仏は、どこにいる人にも届く救いの光明を常に発し続けておられます。
 ただし、それに気づき、それを受け容れようとする気持ちがなければ、その光は届いていないも同然となってしまいます。法然上人の和歌として最も有名な「月かげ(=月の光)のいたらぬ里はなけれども、眺むる人の心にぞすむ」の趣旨の通りです。
 では、どうすればその救いの光は届くか、法然上人は一心に阿弥陀仏を信じて、ひたすら念仏すれば、救いの光が届くというわけです。これを「専修[せんじゅ]念仏」の教え、「一向専修」の教えといいます。
 阿弥陀仏が悟りを開いて仏と成られた時にできたのが極楽浄土で、浄土とは「仏の世界、仏の国土」のことで、仏の数だけあるとされますす。その中で阿弥陀仏の浄土のことを「極楽」といい、ここより西方に十万億の浄土を過ぎたところにあるとされます。パラダイスのような世界ではあるものの、あくまで修行の場で、修行の邪魔になるようなものは一切なく、修行を増進させる要素が多くあるとのことです。そして往生した者は不退転の境地にまで達しているので、怠けることがなく、容易に修行が進み、悟りを得ることができるということです。
 参道の途中にも墓地の入口がありますが、もうひとつの墓地とは隣接していますが、道がありません。
 石柱の山門
【民話 信行庵と捨身往生】

 今の向島が歌島といわれていたころのお話です。
 平家と源氏の戦があり、時々、島の人たちの耳に入るのは、平家のお姫さま方の悲しい噂話ばかりです。戦のきびしさや悲しさの話を聞くにつけ、島の人々は
人ごとながら、心を傷めていました。
 戦のときには島の向こうを大きな船が通り、島の人々はやりきれない気持ちでながめていました。
 平家が戦にやぶれ、ようやく少しは、世の中が落ち着いてきたころのことです。
 この島の人たちは、働いても働いても心も物も満た






されることがありませんでした。
 みんなが貧しかったのです。
 そんなある日のことです。
 そまつな黒麻の衣に脚絆をまいた、このあたりでは見かけない坊さまが、芋畑の道を歩いてきました。この坊さまには、人々の心のうちや悩みがすぐわかるのでした。
 坊さまは、島の人たちの顔を見るなり
「庵をつくってあげよう。心の安らぎになるかもしれない」
と、島の三つ石というところに、小さな庵をつくりました。
 島の人たちは、えらい坊さまといえば錦の袈裟を着て、立派な乗り物で
帰りに立ち寄ったということです。
 信行庵の住職は、行欣を手あつくもてなしました。
 うちとけて語り合ううちに
「むかし、この庵を建てられた上人さまが九州で、別時念仏という業をなさったと聞いております。私たちもここでその業をやってみましょう」
と話が進みました。
 別時念仏というのは、四十八昼夜「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えながら、心をみがく浄土宗だけの念仏の業で、無の境地になるのです。
 その話は、信心深い僧や信者たちに伝わりました。
 当日は、たくさんの人
 本堂
 本堂内部
お金持ちの家に行ってお話をなさる人とばかり思っていました。
 ところが、この坊さまは誰にでもわけへだてなく親切で、島の人たちは仕事の合い問に庵を訪ねては坊さまのお話を聞き、心をなごませていました。
 間もなく、坊さまは庵に住職をおいて、次の行脚に
出かけました。
 それから何百年かたち、小さな庵は信行庵と名が付いていました。
 ある日、一人の坊さまがこの信行庵を訪ねてきました。
 智恩院で修行している行欣という人で、九州行脚の
















が集まって、おごそかに念仏が唱えられ始めました。
 南無阿弥陀仏の声は、四十八昼夜続けられたのです。
 そして満願の日。夕日が三つ石の空を黄金色に染め、今まさに西の海に沈もうとしているときでした。五色にたなびく雲間から、美しい阿弥陀さまのお姿が
現れました。
 念仏を唱えていた人たちは、阿弥陀さまに照らされた海を極楽に続く黄金の道と思わずにはいられませんでした。
 人々は、夕日とともに海に沈まれる阿弥陀さまを慕って歩きはじめたのです。
 このとき、行欣の耳に阿弥陀さまの声が聞こえてきました。
「あなたはこの世に残って、信行庵を守りなさい」という声です。
 念仏の声はいっそう高らかになり、僧や信者は海へ入水し、捨身往生をとげたのです。










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