駅前海岸 → 福本渡船へ (旧船着場経由)
距離:162m 標高 出発:2.9m 到着:2.7m 最高点:2.9m 最低点:2.7m
「昔の船着場」が再整備されています。
瀬戸内海中央部の干潮と満潮の差は3mを越えます。そのため船着場は階段状に作られており、毎日2回づつ干潮と満潮があり、海面の高さの変化に応じて、船と船着場(岸)に板をかける段を変えて、人が荷の積み卸しをしていました。
このあたりは瀬戸内海の中央部で、海水が激しく混ぜ返されます。このため、海の栄養分が行き渡り、しかも18kmにもなる潮流が味の良い海産物を生み出します。料理人の中には備後地方の海で採れた魚が一番おいしいと言われる方もおられます。(ただし、小魚が多く、骨がしっかりした魚が多いので、子どものときから食べ慣れていないと食べにくいのですが!)
しかし、下水処理が進みすぎ、海の栄養分が不足し、海産物に変化が起きています。
このような船着場が残っていると、津波で動力が失われクレーンなどの荷揚げ装置が動かなくなったときでも、人力で荷揚げができますね。
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昭和40年代以降の高度成長期には、泳いでいる魚がいなくなっていたのですが、泳いでいる魚を見かけるようになっていますね。
【放浪記より】 林芙美子著
海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい、汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽やかな若葉だ。
緑色の海向こうに赤いドックの船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。
貧しい私達親子三人が、東京行きの夜汽車に乗った時は、町外れに大きな火事があったけれど、…「ねえ、お母さん!私達の東京行きに火が燃えるのは、きっといい事がありますよ」…母達を私はこう言って
慰めたものだけど、……だが、あれからあしかけ六年になる。私は、うらぶれた体で、再び旅の古里である尾道へ逆戻りしているのだ。気の弱い両親をかかえた私は、当てもなく、あの雑音の烈しい東京を放浪していたのだけれど、ああ今は旅の古里である尾道の海辺だ。海沿いの遊女屋の行燈が、椿のように白く
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魚がいました。
昔の船着場です。
このあたりは大潮だと3mを越える干満のさがあります。人力で荷揚げするため、船と岸の段差を少なくするために階段状になっています。
このような船着場があると、津波で動力が失われクレーンなどの荷揚げ装置が動かなくなったときでも、人力で荷揚げができますね。
点々と見えている。見覚えのある屋根、見覚えのある倉庫、かつて自分の住居であった海辺の朽ちた昔の家が、五年前の平和な姿のままだった。何もかも懐かしい姿である。少女の頃すった空気、泳いだ海、恋をした山の寺、何もかも、逆戻りしている様な気がしてならない。……
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このあたりの干満の差は3mを越えます。日本海側は20cm程度ですので、むかしは港づくりが大変だったのでしょう。
秋の大潮近くに台風が来ると、このあたりの道路は、下水道を逆流した海水で覆われることがあるそうです。