当社は 旧荻野村の中央に位置し祭神は 大己貴命、配祀は素戔嗚尊。 創立年は不詳 1687年再興し自然石をご神体とし牛頭天王を合祀し石神大明神と称した。1870年に荻野神社と改称された。 1591年 徳川家康より社領に三石の朱印を附せられ1873年に郷社に指定された。 境内は約七百坪で御神木の大公孫樹を中心に構成する一大高森は荻野郷総鎮守に相応しい様相を呈している。 本殿は1687年に建てられたもの。市内最古で最大規模。境内の御神木の銀杏は樹齢600年と推定されている。境内社には、有賀神社、豊受神社、春日神社、日神社、八幡神社、菅原神社、ほかがある。 |
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厚木 江戸時代は境内に山王社にまつられていた「知恩寺」
厚木 飯山の観音さんとして知られる「長谷寺」
厚木 古い石仏が掘り出された「金剛寺」
厚木 旧名妙見宮(天之御中主神)を祀った「鐘鋳神社」
厚木 カッパの雨乞いの伝説「白山神社」
愛川 半僧坊大権現を祭る「勝楽寺 半僧坊」
開山は天文13年(1544)能庵宗為禅師といわれています。毎年4月17日の春まつりには、近郷近在の新花嫁さんが挙式の当日の晴れ姿でお参りする習わしがあるので「美女祭り」として賑やかです。地元では平山の勝楽寺というより、田代の半僧坊という呼称が一般的です。 半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれている勝楽寺。遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、「田代半僧坊」と呼ばれています。 半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。 禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから半僧坊と呼ばれるようになったそうです。 その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。 |
厚木 神仏分離で寺院から神社に「智音神社」
厚木 明治時代に日本武尊が祭神に加えられた「小野神社」
厚木 水害に合い現在の地に移された「厚木神社」
厚木 学問・音楽・除災・至福の「大釜大弁財天尊」
厚木 安産願いに火伏のご利益も付く「春日神社」
厚木 2001年現本堂に落慶を迎えた「宝泉寺」
宝泉寺は室町時代の後期、1486年に起立。 当時は周囲萬木千草地に満ちて裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としており、 そのため別名「松壽林宝泉寺」ともいわれていた。
現在の地に初めて堂宇を建立したのが、曽我の小林平馬の弟、「宗珍和尚」 で、師は43年間の在住により布教を発展させ今日の基礎を築いた。
その後6世「悟庵珊道和尚」の時(1654年、厚木市三田「曹洞宗・ 清源院」6世玉山智存大和尚を法地の開山とし、曹洞宗・宝泉寺の1世に請した。それから今日まで、布教や伽藍・境内地の整備にと壇信徒と共に歩み、19世「大満悦道大和尚」の時に客殿庫裏を、20世「大光真道」の時、現本堂のそれぞれ落慶(2001年)を迎えた。