星梅山 妙伝寺(日蓮宗)
厚木市上依知  標高 37.5m
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 1278年(弘安元年)本間重連が檀越となり、日源が日蓮を開山として創建したもので、日蓮を1世、日源を2世とする。近隣の蓮生寺、妙純寺とともに重連の邸宅跡と伝えられる。江戸時代には、江戸幕府から朱印状が与えられていた。


 「星下り寺」とも称される。
 妙傳寺は、文永8年(1271)日蓮上人が鎌倉から佐渡へ配流される際、当地にあったとされる本間六郎左衛門尉重連宅内の観音堂に逗留、月に向かい法楽したところ、邸宅内の梅樹に明星が降臨する奇瑞が顕れたところから、本間六郎左衛門尉重連が帰依しました。
 日蓮上人は曼荼羅を授与、弘安元年(1278)には僧日源が草庵を営み、日蓮上人を勧請開山、本間重連・重直兄弟を開基として創建しました。

 日蓮上人配流に際して、無量光寺開祖一遍上人は、当所觀音堂に来て日蓮上人と謁見、以来無量光寺と当寺とで音信を取り合っていたと伝えられています。また、小田原北条家からも寺領を安堵され、江戸期には幕府より寺領7石の御朱印状を慶安2年(1649)に受領していましたが、不受不施派の取り締まりにより廃寺となりかけたところを、茨城県加倉井妙徳寺の住僧日遥が当寺23世となり中興したといいます。
 二天門に掛かる「星梅山」の山号額は、日応上人の書で、1753年に造られたもの。
 両側に毘沙門天と持国天の2つの仏像を安置していることから二天門と呼ばれ、延享3年 (1746年) 妙伝寺33世日応上人によって建立されたものです。  
 二天門に掛かる「星梅山」の山号額は、日応上人の書で、1753年に造られたもの。




 二天門の両脇に安置されている仏像は、仏法守護の四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の内の二天で、正面に向かって左側が毘沙門天(多聞天)立像、右側が持国天立像です。像の高さは、毘沙門天立像が236cm、持国天立像も235cmあります。
 持国天 …… 1972年の調査のとき、持国天立像の内部から木札が発見され、丈六の釈迦如来立像の鳳;として、1697年に造られたことが分かりました。
施無畏……拝む人に恐れをなくす手の形
与願……願いや希望をもたせる手の形

 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より






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