星梅山 妙伝寺(日蓮宗)
厚木市上依知  標高 37.5m
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【星下りの霊梅】

 文永8年(1271) 9月12日、日蓮上人が龍のロの法難を逃れ、佐渡の国へ流されることになりました。鎌倉を出て2日目、上人は依知の本間六郎左衛門重連の屋敷に一時留まることになりました。その夜は、十三夜の名月がこうこうとあたりを照らす夜でした。上人は見はりの兵士たちが見守る中を、月あかりで光る庭におりたち、月に向って大声で叫びました。「法華経には、この教えを信じ修業する者は必ず守られると書かれているのに、なぜ私には苦難が続くのか。
星下りの霊跡に関する縁起書が刊行されて、参詣の人々に配布されました。その伝承は大同小異で、どの寺が正しい霊跡かははっきりしません。
 「厚木の観光ポケットブック」(厚木市観光政策課発行)
月よ、私の言ったことに答えるならば、何か不思議をあらわせたまえ。」すると、空はたちまちかき曇り、火の玉のような大きな星が降ってきて、庭内の梅のホの枝にかかりました。同時に強い風力吹いて、江の島の方角から太鼓を打ち鳴らすような大きな音が聞こえてきました。驚いたのは庭にいた兵士たちです。
庭にひれふす者、縁側から飛降りる者、家のかげに隠れる者など、みんな顔が青ざめ、ぶるぶると震えるばかりで声ひとつ出ませんでした。
 この話は、依知地区にある三つの寺、上依知の妙伝寺、中依知の蓮生寺、金田の妙純寺にそれぞれ時代には各寺とも、






いう庵を結び、日夜念仏三昧の修行を積んでいた一遍は、依知村を托鉢中、折から佐渡配流前の日蓮が、本間の屋敷に滞在の由を聞き、観音堂に日蓮を訪ねて、つぶさに旧交を暖め、ねんごろに慰めたのであった。




 題目碑「南無妙法蓮華経」(高祖日蓮大菩薩五百遠忌) 1769年
 本間六郎左衛門尉重連は、川を隔てた対岸の依知村の地頭であった。文永八年(1262)九月十二日、竜口の法難を危くのがれた日蓮を、弟三郎左衛門直重が屋敷内の観音堂に伴って来たのは、翌十三日の午の刻(正午)であった。
 当麻亀形の丘の妙見の小祠のほとりに金光院と一遍と日蓮とは一時は比叡山で一緒に修行した法兄弟で、熱烈に宗論をたたかわしたこともある仲であった。この時日蓮が一遍の来訪を喜んで迎えたであろうことは、想像するにかたくない。
 後のことになるが、この関係から妙伝寺と当麻山とでは、本来なら犬猿もただならぬ派の違う間柄なのであるが、今でも同宗門以上の親しい関係を保ち、いろいろの法会の際には、互いに相往来して助けあっているのである。




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