厚木 元は愛甲神社三柱大明神と称された「林神社」

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  由緒(境内掲示板より)
 当社は人皇十二代景行天皇二十五年七月竹内宿彌:東國勧察の時勧請したと伝えられている。延享年間記せしものに「北陸東方諸国の地形を定る時相模の國は東の堺たるに由りて東方守護のため東林山に此神を祭る。世に愛甲神社と号す云々」とあり。思うに当社は延喜式神名帳には載せられていないが、千有余年前勧請の古社である。
 天正三年(一五七五)棟札を写したものに「日檀那相州森庄林之郷井上之苗裔○○○中之○在原業秀敬白大工下野○○○○○   縫殿總宗作之寄進之天正三年○○○月吉日」とあり。この年を以て再建○したものと言われている。
 元は愛甲神社三柱大明神と称され○○○○宮大神玉柱姫命も合祀せられ其の後林神社と称す。