鎌倉 女性にとって圧政の時代に救いの寺「東慶寺」

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 東慶寺といえば、駆け込み寺とか、縁切り寺とも呼ばれ、女性にはこの上なくありがたい男子禁制の尼寺だった。妻の方から離縁を申し出ることなど許されない封建時代にあって、ここに駆け込めさえすれば、「離婚できる」というのだから、江戸時代、多くの女性がこの尼寺に駆け込んだものもうなずける。江戸末期の150年間には約二千人の女性が駆け込んだともいわれている。江戸時代には女性の自由が極端に制限されていた時代である。そんな時代にこの東慶寺こそ、女性にとって人生をやり直せる稀有な緊急避難場所だった。
 定年と同時に、妻から三行半(夫から妻または妻の父兄にあてた離別状…三行半に書く習慣からいう)をポンと渡され、おろおろする中高年の男性も多い昨今、往時の抑圧された女性達の境涯を想像するのは難しい。女性にとって圧政への時代に、この尼寺の担った役割はきわめて重要だっただろう。封建制度の矛盾のほころびを補う役割を果たすことで、ガス抜きの効果をも果たしていたのかもしれない。時代の必然の賜物だったのかもしれない。
  (「鎌倉なるほど事典」楠本勝治著 実業之日本社 より)