古民家 岸邸
 厚木市上荻野792-2:93.5m
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 厚木市古民家岸邸として開館されています。古民家岸邸は、郷土に残された貴重な文化遺産として、皆さんに公開しながら長く保存をしていきます、と。
 古民家は、当時の生活を色濃く伝えるものです。生活のスタイルが大きく変化してきた現代では、ますます注目されてきています。随所で見られる、職人が手をかけて作った凝った意匠も一遍ではなく、建築当時の時代の先端的な様式を併せ持ち、家を作った職人の技と、家を守ってきた人々の営みを感じてみてはいかかでしょうか。

 明治時代になってこのあたりで養蚕業を始められた岸家。絹の輸出で立派な建物を建てることが出来ました。このあたりは桑の木がたくさんあったそうです。今ではまったくありませんが。 
 厚木市内には、かっては草葺の、屋根の古民家が多く見られましたが、生活様式の変化などにより、そのほとんどが取り壊され、今ではあまり見ることができません。
 古民家は建築様式や各部屋の使われ方や呼び方など、その地方の特色を色濃く残しており、歴史や文化を考える上で貴重な文化遺産であるといえます。
 岸家住宅は、広大な屋敷の入リロに薬医門を構え、主屋の他に土蔵3棟があります。建築年代は、「本宅上棟式祝儀受納帳」や棟札などから、主屋が明治24年(1891)、薬医門が明治19年(1886)と考えられます。
 主屋は二階屋で、二階は寄棟造瓦葺、一階は銅板葺(一部鉄板葺)です。基本的な間取りは一階が土間を持つ六間取り、二階は10畳2室、12.5畳1室で、客座敷にはそれぞれ床の間・違い棚・書院が設けられており、ナカノマと呼ばれる部屋には、客用の正式な玄関である式台の変形した玄関がついています。
 使用されている木材の質や仕上げは上質で、3尺幅の神代杉や楠木一枚板の戸が見られ、また、市松模様の赤色ガラスや欄間の彫刻や細工をど随所に凝った意匠が見られます。
 「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より
 明治19年(1886)に建てられた「薬医門」という様式の門。本柱が門の中央線上から前方にずれており、面側の軒を長くするように作られています。医門の名称は、矢の攻撃を食い止める「矢い」から由来したとも言われていますが、定説はありません。
 一般的な雛飾りでは、 一段目が内裏(だいり)雛
二段目が三人官女
三段目が五人囃子(ばやし)
四段目が随身(ずいじん)
 となっています。
五段目があるときは、仕丁(しちょう)
といい宮廷の雑役係りです。
 2月の後半~3月中旬に、おひな様が飾られています。  平安時代には遊びの一種として「雛あそび」がありました。それが江戸時代に女の子の「人形遊び」と「節句の儀式」と結びつき、「雛祭り」へと変わったそうです。 
 ひな壇に見られるのが、ピンクの桜の木と黄色の橘の木。向かって右に桜、左に橘があります。「西に黄色で金運アップ、東南にピンクで良縁に恵まれる」という開運法があり、ピンクの“桜の木は良縁”を、黄色の“橘の木は金運”を願っているのでしょう。






 女の子のひな壇にさくら餅が飾られるこのごろの風潮。小麦粉の中に一割ほどの白玉粉をまぜ、小さなクレープのように丸くやわらかく焼き、あん玉を包む。桜の葉はお菓子屋さんで分けてもらって、一コについて二枚か三枚を使い、包むというより覆う。これは長命寺風桜餅で
葉の中にうずもれて香りがよくしみます。後年、独立して家を出て行った子どもたちが、「今年もひな祭りのさくら餅、楽しみね」、などと、「いつものあの料理」を楽しみに集ってくれるようになるといいですね。


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