【厚木の天王様】
現厚木神社(厚木市厚木町)は、古くは牛頭(ごず)天王社といい、同神社の由緒書(ゆいしょがき)には、今から八百年程前の円融天皇の時、天延年中藤原伊尹公により、厚木村字天王免に同社が勧請されたと言います。
承徳年中この地が、水害に合い現在の地に移されました。江戸時代に、毎年6月5日から12日まで大祭を行い、神輿(みこし)を相模川に入れ、水中渡御(とぎょ)の行事をおこなっていました。
正徳年中に、祭礼中誤って御神体を水中に落してしまいましたが、翌年、厚木村下町の告原伊兵衛の夢により神体のある所が分かり、祭礼前の5月相模川から探した神体を同家の庭に祭り6月の大祭に移し、盛大に祭が行われたといいます。
この祭礼には、支配所の大久保佐渡守烏山厚木役所から警固の従士がつき、麻上下(かみしも)の村役人を先頭にして行列を行い、町内では、各町内ごとに鉾山車(だし)を繰り出し盛大なにぎわいを見せました。文政10年の大洪水に古記録を流出し明治初年、牛頭天王社に町内の神社を合紀して、厚木神社と改名されました。
明治以後7月14日から16日まで祭礼が行われ、「厚木の天王様」を楽しみに近郷近在の人があつまり、町中に各町内会の山車と神輿が繰り出し、祭りばやしが響きにぎわいました。その後、交通事情の悪化により山車と神輿は中止されましたが、昭和49年より、又、復活しました。
「厚木の観光ポケットブック」(厚木市観光政策課発行)
「牛頭(ごず)天王」
天照大御神の弟・須佐之男命は神仏習合のなかで祇園精舎の守護神、牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されました。習合した理由はどちらも荒神(あらがみ)だからという説など、諸説が存在します。主祭神として祀る神社にはさまざまな系統が誕生し、信仰は全国に広まりました。
ギリシャ神話にも牛頭人身のミノタウロスがいます。これも人を食う恐ろしい怪物です。