浄土宗大本山。詳しくは天照山蓮華院光明寺。開基は北条経時、開山は記主禅師然阿良忠。仁治元年(1240)鎌倉に入った良忠のため、経時が佐助ヶ谷に一寺を開き蓮華寺と名づけたが、のち同寺を現在地に移し、寺名も光明寺と改めたと伝える。移建・改名などの時期については寛元元年(1243)とする記録もみられるものの確証はない。また、良忠のために大仏朝直が開創した佐助ケ谷の悟真寺が蓮華寺と改名、さらに光明寺に発展したと考える説もある。
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鎌倉 非公開の「平家の赤旗」ある「補陀洛寺」
鎌倉 窟内に清水が湧出する「銭洗弁天宇賀福神社」
窟内には清水が珍しく湧出していて鎌倉の名水の随一である。往時福神とか福人とかが銭を洗っていたといふ因縁から、この清水を銭洗井の名跡で僅かに語り伝へてゐる。
この銭洗井に今日弁財天の北ってあることには不思議はない。佐介谷は平常寂しいところで、一方稲荷社の参詣道には人家も少しはあるか、こちらの窟の方へは全くの野径そのままである。それが1年一度は大層な信者を引つけてゐた。世界大戦景気(第一次大戦のこと)の熾んなことがこの弁財天流行の絶頂と云ってよかったろう。信者は主として横浜あたりから来てゐた。大正九年の春であったかと思ふが、人にすすめられて行ってみると、窟内は御幣や御蝋で一杯になってゐる。佐介稲荷でここも兼ねて受持ってゐると聞いたが、禰宜らしい人や俄神人たちが寄り集って御符を出してゐる。成程ひどい人出である。