頭が固くなってしまうとボケやすい!

 50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
 この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
 年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
 江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!

尾道 裏山の岩に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」

 済法寺の裏山斜面の自然岩に多くの磨崖の羅漢像が刻まれています。 済法寺の裏山の一面に広がる巨岩に、釈迦如来座像を頂点として、4段ぐらいの岩群に、光背状に彫りくぼめて半肉彫りする十六羅漢磨崖仏があり、江戸時代の尾道石工の技術の切れをノミ跡に見ることができます。
 ただし注意が必要です。見学用の道がないので山で遊んだ経験のある人はともかく、山遊びの経験がない人は、双眼鏡など準備して下から見てください。特に枯れ葉が落ちているシーズンは、滑りやすいので注意してください。

手先を動かすことはボケ防止に!

 「便利」ということは、仕事の能率化には欠かせません。しかし、子ども時代から、この便利さに馴れてしまうと、脳の発達に悪影響があるようです。また、歳をとってからは、どうもボケにつながるようです。
 人類の歴史上、こんなに便利になってしまった時代はありません。手先を簡単な動作にしか使わないだけでなく、ChatGPTに質問して文章を作ってもらい、頭で考えなくてもよい時代になりそうです。これは、脳の退化をいっそう進めてしまうのでしょうか?

座間 不動尊を祀る不動池「心岩寺」

 開山年代は寛正元(1460)年頃で、鎌倉建長寺第七十五世悦岩興惟禅師の法弟成英玉大和尚が開山し、この地の郷士白井織部是房が開基となって、白井氏の持仏堂を寺としたものと伝えている。
 本堂北側の不動尊を祀る不動池には豊富な湧水が利用されています。
 裏手の墓地には伊達正宗の好敵手で、豊臣秀吉の小田原攻めに参加し帰路当地で亡くなった岩城常隆の追善供養塔(五輪塔。座間市重要文化財)が伝わります。

「器用貧乏」という言葉!

 「器用貧乏」と言われますが、器用な方がボケ防止になるようです。
 器用になるためには、子供の時から、手先でいろいろなものをつくり、鍛えなければなりません。
 指をこまめに動かすと、脳(大脳皮質の表面に見られるシワ)が発達し、結果として器用になるようです。
 小刀で鉛筆を削り、プラモデルを組立、人形の洋服づくりなど、指を動かしていると、器用になっていきます。
 文字や言葉で記憶することが、「成績が良い」ということになるのですが、これだけに執着していると、脳の一部しか使っていないことになるのでしょうね。
 選択すと自動的に作動する電気器具、自動化された道具類などは、ボケの促進につながっていくでしょうか!

鎌倉 100数基の小さな五輪塔が「来迎寺」

 1194年、源頼朝が鎌倉幕府の礎石となった三浦大介義明の霊を弔うため、真言宗能蔵寺を建立したのがはじまり。
 当時、能蔵寺の名前は、この付近の地名として使われていた。頼朝が亡くなった後、音阿上人が時宗に改宗し、来迎寺に改名した。

 本堂裏手の広場には、「三浦大介公の家来の墓」と表示された100数基の小さな五輪塔などが並んでいます。また、来迎寺会館の中には三浦義明の木像が安置されています。
 三浦大介は、源頼朝の挙兵の際に尽力し、石橋山の合戦に敗れた頼朝のもとに一族をむかわせ、みずからは衣笠城にとどまり平家方を迎え撃ち、畠山重忠の軍勢と戦い89才で戦死した三浦の豪族。

自分本位に突っ走る「適当」ではない!

 「自分本位」での人生は、日本は欧米に比べると少ないように感じます。日本人は、新しいものに興味を示し、すぐマネをし、そしてマネを超えたいと工夫し出します。
 それが、多様性を生み出し、やがて一つの集約したものになって行くのでしょう。しかも、集約した一つのものにたどり着きながら、また、それを変えて行ってしまいます。
 日本語も、1つの単語でも、その意味は多様性に富んでいます。外国語は、1つの単語は原則1つの意味しかありません!

福山 鞆 戦国時代、安国寺恵瓊が再興した「安国寺」

 無本覚心(法燈国師)を開山として、1273年(文永十年)に釈迦堂(仏殿)を、翌年に阿弥陀三尊像を造立した『金宝寺』が、備後安国寺の前身です。
 安国寺の歴史が再発見されたのは1949(昭和24)年。解体修理が行われた安国寺の阿弥陀三尊像の中から古文書が見つかった時です。
 安国寺は本来、金宝寺。室町時代に寺社名、歴史が書き換えられたと分かりました。阿弥陀三尊像、法燈国師坐像やこれらを収める釈迦堂など、すべて金宝寺時代のものだと判明しました。

プログの写真選びは自分で選ばない!

 「自分のことは、自分が一番よく知っている」と思いがちですが、集団の中では、これは通用しません。
 社会の中で生活する、ということは、他人の評価の中で生活するということ。それに気づき、それが負担になってしまうと、「とじこもり」になってしまうのでしょうか?
 しかし、社会には多様な価値観があります。特に日本は歴史的に多様な価値観を受け入れてきました。神様も仏様も両立してきました。「多様さ=曖昧さ」が受け入れられてきました。
 昨今は、ネット検索でAIが利用されるようになり、多様さが除外されがちになってきました。自分で日本語のデータベースをつくり、単語検索すると、日本語の多様さに気づきます。
 欧米文化の影響力が強くなり、考え方に多様性(曖昧さ)を失うと、プーチンさんやトランプさんのような人が、受け入れられるようになるのでしょうか!

尾道 千光寺山、たたくとポンポンと鳴く「鼓岩」

 鼓岩(つづみ岩)、別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がします。
 右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡だといわれています。

「鼓岩(つづみ岩)=ぽんぽん岩」 映画監督:大林宣彦
 尾道の、海や町を見降ろす千光寺山の中腹に、ぽんぽん岩と呼ばれる大岩がある。小石を握ってその岩の真ん中を破くとぽんぽんと音がするので、そう呼ばれるのである。それはきっと、岩の内部が空洞になっている故なのだが、ぼくにはそれがまるで岩の声のように聞こえる。面白くて、楽しくて、そして恐ろしい。
 だから、こどもの頃から、ぼくはこのぽんぽん岩が大好きだった。面白くて楽しいだけでは駄目。こどもは恐ろしいものに心ひかれるのである。

無欲になれなくても、小さな欲望に!

 人が求めるものの原点に、お金・権力・名誉・寿命がありますが、現代は多くの方が「お金」なのでしょうか。
 そのためか「能力主義」が叫ばれています。
 しかし、年功序列の時代は、先輩が後輩をよく指導していましたが、能力主義になると、先輩の指導はあまり期待できなくなります。自分で能力を高めていくしかなくなってしまいます。
 日本では、高度成長が出来た時代は、年功序列の時代でした。能力主義になると、日本全体では、どの程度の成長が期待できるのでしょうか。
 今回のワールド・ベースボール・クラシックでの日本の活躍は、日本の年功序列時代の組織を思い出してしまいました。先輩が熱心に後輩に教えていました!

鎌倉 源頼朝と源実朝を祀る「白旗神社(八幡神社内)」

 鶴岡八幡宮境内末社。祭神源頼朝・源実朝。例祭五月二十八日。他に八月九日一目実朝祭、十月二十八日文墨祭を行う。
 「天正修営目論見図」には本宮の西側に白旗社があり、明治十九年柳営社(源実朝)と合せて現在地に鎮祭した。
 白旗社については社伝によると正治二年(1200)白旗大明神の勅号を賜って、平政子(北条政子、北条政子という名は近世以降になってそう呼ぶようになったようです。1218年以降1225年までは、朝廷や寺社には吾妻鑑に記載されている「平政子」を名乗っていたと考えられる。)が創建、また源頼家の造立ともいう。

「自分を大切にする」心を常に!

 「自分を大切にする」ということと、「自分の身を守る」ということは、関係しているのでしょうか?
 生物は自分を守るということが、生存の原点にあると思います。猫族の体内でしか増殖できない微生物は、ネズミの体内に入ったとき、ネズミの性格を変えてしまい、ネコを恐れなくなる性格になることが証明されました。
 このような性質が生命の基本にあるならば、「自分を大切にする」ということは、「自分の命を守る」ということと、同じようなものとも思えます、
 すると、環境を安全にしすぎると、自分を大事にしなくなる、ようにも思えてしまいますね!

厚木 門前に巨大な題目塔「妙純寺」

 この地は、鎌倉時代に依知郷一帯を支配していたされる土豪の本間六郎左衛門重連の代官屋敷があったといわれる場所である。 妙純寺に伝わる縁起によると、鎌倉時代末期の文永8年(1271)9月に幕府の迫害を受けた日蓮上人が、佐渡に流される際に本間屋敷に数日滞在して「星下りの奇瑞」を現したという伝説が残されている。
 「星下り」伝説を伝える寺院は三つありますが、これらの寺が建っている場所はかって本間氏が館や屋敷を構えていた所といわれています。あえて特定するよりも謎のままでもよいのでは!

1秒で相手を破壊できるれば……、平和に?

 ダイナマイトを発明したノーベルは、ダイナマイトを発明する以前に、たった1秒で相手を破壊できるものがあれば、恐怖のあまり戦争をする者はいなくなるだろうと考えた。
 物理学者アルバート・アインシュタインは平和主義者として有名だったが、1939年にはアメリカ大統領に宛てた、原子爆弾の開発を求める書簡に署名した。のちに「大きな誤り」だったと話していた、とか。
 「人の振り見て我が振り直せ」(人の失敗を笑ったり批判したりするのではなく自分の振る舞いを反省しよう)は、優秀な人達も実践できないものなのですね!

鎌倉 登り口に「星ノ井」のある「虚空蔵堂」

 「星ノ井」のある場所は、現在、坂ノ下と呼ばれているが、昔は「星月夜」という地名だった。水道が引かれるまでは、通行人にコップで水を飲ませ、銭を貰っていた。
 極楽寺切通を往き還る旅人たちは、伝えとこの水を愛でて、ひとときを井戸のほとりの茶店に憩いました。慶長五年(1600)六月、京都より江戸への帰りに、ここを通った家康もこの名井を見学して行ったという記録も残っています。
 あるとき、近くに住む下女が菜ワ切り包丁を、あやまって井戸へ落してしまい、それからというものは井戸はいやな顔をしてしまい、星を映さなくなったということです。

第二次世界大戦、無差別爆撃が始まった!

 ウォルト・ディズニーは米国の将軍に心酔。国民や政府に空軍力の重要性を訴えようと、自ら無差別爆撃を想起させる(「飛行機の広大な飛行範囲と破壊力は、地球上全てを戦場に変える。兵士と一般市民を隔てるものはなくなる」)アニメ映画を制作し、せっせと航空軍の宣伝をしていた。
 そして、兵隊同士が戦うという戦争の原則を崩していった。しかし、戦勝国は罪を問われることはなかった。
 ヒトは、いつまで経っても「戦争に勝てば、罪を問われることはない」という観念はから、抜け出すことは出来ないのでしょうね。
 ロシアも勝つまでは、戦争を続けたいのでしょうね!

海老名 神仏分離までは有鹿神社の別当寺「総持院」

 「新編相模国風土記稿」では、山号は海老山万蔵寺とされています。
 本尊は、木造虚空蔵菩薩坐像で脇侍として不動明王像と毘沙門天像が安置されています。本尊は、作風から室町時代末期から桃山時代頃に造立され、元禄14年(1701)に江戸の仏師・石見によって修理された記録が残っています。
 虚空蔵菩薩は密教で発達した仏です。果てしなく大きな智慧と福徳があるとされ、その智慧を頼って「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」という修法(しゅほう)が生まれました。この菩薩の陀羅尼(だらに)を百万遍唱えると、人並み外れた記憶力が授かるといいます。空海もこれを成し遂げ、利益を得たそうです。
 不動明王像と毘沙門天像は、元禄14年(1701)に仏師・石見によって造立されたことがわかっています。

最高のぜいたくは庭の片すみの菜園!

 昭和30年代頃までは、家庭菜園が当たり前のように行われていました。これは、戦後の食糧不足の対策でした。肥料は自然のもの、防虫剤などは使われていませんでした。
 そのため、野菜などは一枚ずつめくり、虫がいないか確認し、水で良く洗って食べていました。昆虫や鳥などと一緒に暮らしていたのでしょう。いまで言えばSDGsをやっていたのですね。
 他の生物と一緒に暮らしていくという方法は、自然環境が大きく変化した場合の、人間の生き残りの確率を挙げていくのに役立つのでしょうね!

鎌倉 護良親王の遺子日叡が父の霊を弔うため「妙法寺」

 日蓮の御小庵が焼かれた後、ここには法華堂が建てられ、本圀寺(ほんこくじ)となりましたが、室町時代の初めに京都に移されました。その跡地に護良親王(もりよししんのう)の遺子(日叡(にちえい)が父の霊を弔うため、1357年(延文2年)に寺を再興したのが妙法寺の起こりといわれています。
 妙法寺の寺名は日叡がいたところの妙法房(みょうほうぼう)から、山号は日叡の幼名りょう巌丸(りょうげんまる)から付けられたといわれています。
 この妙法寺は南北朝から室町時代にかけては寺の勢いが盛んで、塔頭が5院あったということです。また江戸時代、11代将軍徳川家斉(いえなり)が参拝し、明治30年ごろまで、将軍御成(おなり)の門があったといいます。