寺院の由来と歴史」
聖眼寺(しょうげんじ)は上三田の才戸橋南側の県道から、山の根の長い参道を入った奥に観音堂が建立されています。昔は観音堂の左手に本堂と庫裡がありましたが、今は存在しません。
江戸時代には相模三十三観音霊場の二十七番札所として観音信仰で栄えていた寺院です。寺は三田寺と呼ばれ、参道入口の門塔に「當国二十七番三田寺」と彫り込まれています。
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鎌倉 風情のある住居のような「長寿禅寺」
尾道 生口島の耕三寺「未来心の丘」
鎌倉 蛭子は「えびす」とも読む「蛭子神社」
厚木 多くの古い石仏がある「金剛寺」
福山 鞆湾の入口の守り神「淀媛神社」
鎌倉 観音さまの安置によい場所「杉本寺」
尾道 浄土寺山の中腹に棲む不動様「不動岩」
鎌倉 北条家歴代の尊崇を集めた「覚園寺」
厚木 本殿は最古で最大の「荻野神社」
鎌倉 開基の北条時宗の廟所「仏日庵開基廟」
尾道 瀬戸田 現代のお寺ビジネス「耕三寺」
鎌倉 後醍醐天皇が書かれた額「光触寺」
福山鞆の浦 坂本龍馬「いろは丸展示館」
鎌倉 天狗の姿をした「半僧坊大権現」
後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた方広寺(静岡県浜松市)が半僧坊の本元と言われています。
無文元選は、父の後醍醐天皇が崩御した翌年の1340年に建仁寺で出家、その後、元に渡り福州大覚寺で古梅正友に参禅し、各地を巡拝した。日本に帰国するとき嵐にあい、そのとき、今にも大波に飲み込まれそうな船中で禅師が観音経を唱えていると、鼻が高く眼光の鋭いひとりの異人が現れました。この異人が「わたしが禅師を無事、日本にお送りします」と、船頭や水夫を指揮して台風を見事乗り切り、博多の港へと導いて姿を消したのでした。
その後、禅師が方広寺を開くと、その異人が再び姿を現し「弟子になりたい」と願いました。禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言われて弟子になることを許し、そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになりました。



















