今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。
さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも(弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。
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厚木 1891年に建てられた「岸邸」初春にはおひな様が!
岸家住宅は、広大な屋敷の入リロに薬医門を構え、主屋の他に土蔵3棟があります。建築年代は、「本宅上棟式祝儀受納帳」や棟札などから、主屋が明治24年(1891)、薬医門が明治19年(1886)と考えられます。
主屋は二階屋で、二階は寄棟造瓦葺、一階は銅板葺(一部鉄板葺)です。基本的な間取りは一階が土間を持つ六間取り、二階は10畳2室、12.5畳1室で、客座敷にはそれぞれ床の間・違い棚・書院が設けられており、ナカノマと呼ばれる部屋には、客用の正式な玄関である式台の変形した玄関がついています。
使用されている木材の質や仕上げは上質で、3尺幅の神代杉や楠木一枚板の戸が見られ、また、市松模様の赤色ガラスや欄間の彫刻や細工をど随所に凝った意匠が見られます。
「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より
鎌倉 鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「化粧坂」
尾道 山門は「ええもん」と呼ばれる「福善寺
相模原 西南 2012年4月出火、その後再建「下溝八幡宮」
福山 鞆の浦 鞆湾の全景が見える「医王寺」
鎌倉 材木座町内の五つの神社を一緒に「五所神社」
この神社は、1908年(明治41年)に町内にあった三島(みしま)・八雲(やくも)・諏訪(すわ)・金比羅(こんぴら)・見女八坂(みるまやさか)の五つの神社を一緒にしてまつったものです。祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)・素戔嗚尊(すさのうのみこと)・建御名方命(たけみながたのみこと)・崇徳院霊(すとくいんのみたま)・天照大神(あまてらすおおみかみ)で、毎年6月の第2日曜には盛大な祭りが行われています。境内の神輿庫には、神輿が安置されていて、「寛永十九年」(1642年)の棟札(むねふだ)がかかっています。例祭では、五所神社を出発した神輿は、昔から伝わる「天王謡(てんのううた)」を唄いながら材木座の町内を練り歩いた後、材木座海岸で海に入ります。
厚木 親鸞が布教の折りに滞在した草庵に「弘徳寺」
弘徳寺の袈裟掛けの松
飯山の千頭(せんず)に浄土真宗の弘徳寺があります。この寺に、開祖・親鸞上人が植えたと言われる松があります。松を植えるとき、親鸞が「我が信ずる本願は諸行にあらず、一向専念の宗義なれば二心並立にあらずして一心なり。この法諸仏の本意に叶うならば、二葉を捨てて一葉(ひとは)たれ」と言ったところ、一葉になったとされています。ふつうの松の葉は二本ですが、この松の葉は不思議なことに一本だったので、「一葉の松」ともよばれました。親鸞が植えた後に、覚如上人(かくにょしょうにん)が袈裟を掛けたので「袈裟掛けの松」とも言います。
この松は昭和三十五年に枯れたので、切り倒しました。今は本堂の前に根元の木口だけが残っています。またこの寺には、親鷺の子・善鸞(ぜんらん)の墓というのがあります。
尾道 瀬戸田 ここは日本か?「未来心の丘」
未来心の丘。
境内北方に位置する。瀬戸田の町と瀬戸内海を見渡せるイタリア産大理石を用いた環境芸術。彫刻家杭谷一東の作。
制作にあたって、「金は出すが、口は出さない。」と言って制作を依頼したとか。イタリアで制作し、ここで組み立て、調整した。
仏教護法の十二天よりテーマが設定されているようです。「十二天」とは、古代インドの聖典ヴェーダに登場していた神々が仏教に取り入れられ、十二天となりました。
中国では唐代に成立し、日本には平安時代前期に持ち込まれたそうです。
東西南北などの八方位に、天・地と、さらに昼・夜が加わって、十二天のかたちができあがりました。密教では曼荼羅(まんだら)に描かれ、主要な地位を占めています。
鎌倉 深山幽谷の山寺といった風情がある「浄智寺」
尾道 隠れた名所か「浄土寺山頂上」
尾道 職人の精神が石段に「御袖天満宮」
愛川 八菅の七社権現とも呼ばれる「八菅神社」
福山 鞆 初代藩主水野勝成がこの地区を開発「妙蓮寺」
鎌倉 鎌倉では珍しい五重塔「龍口寺」

龍口寺の五重の塔は明治四十三年(1910)竣工、棒造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。初層の上部には彫刻師、永田伊助の手になる日蓮大聖人御一代記が奉納されている。
五重の塔は、この世と、また、私たち人間を形づくっている五つの要素である
「地」、「水」、「火」「風」、「空」の五大を意味する。