天寧寺三重塔は、1388年に建立された五重塔(当時は高さが35m前後ではないかと考えられるとか)を、1692年に傷みの激しい上二重を取り払って三重に改造したものです。このため三重塔にしては、全体に上からかぶさっているような重苦しい感じがしています。
この塔は、海雲塔とも呼ばれ、高さ25m、足利時代をしのぶ貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
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1740年、尾道の町奉行に着任し広島藩の平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。
毎年旧暦の6月28日前後(7月の終わり頃)の土曜日、平山奉行の功績を称えると同時に、商売の繁盛と海上交通の安全を願ってをおのみち住吉花火まつりが行われます。
尾道住吉花火まつりは、正式名称を「住吉神社大祭礼」といい神事です。花火当日に「山型(やまがた)」「鳥居(とりい)」「御弊(ごへい)」の提灯船3隻に加え、「火船(ひぶね)」
「御座船(ござぶね」が渡御(とぎょう)…尾道水道を行ったり来たり…しております。
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かんざし灯籠由来(説明看板より)
江戸時代の末、ここから程近い芝居小屋に、それは美しい、しかしどこか寂しい影があってあまり客のつかないお茶子がいた。
お茶子とは観客にお茶や座布団、時にはお酒の接待などもして心付けをもらう女性をいう。
そのお茶子に浜問屋の若旦那が恋をした。内気な少女のそんな心もとなさがかえって、豪商の跡取りながら、ひとりの多感な若者の心に火をつけたのだったが、身を飾るかんざし一つとてないお茶子の姿を見た親は、こんなみすぼらしい娘を嫁に迎えるなどもってのほか、とその恋を許さない。
お茶子は井戸に身を投げ、この大銀杏の木の下に「かんざしをください」と哀しい声で訴える幽霊が出るようになった。この灯籠はそのあわれを慰めようと心ある人々がお金を出し合って奉納したものという。