開基は1367年に、尾道の人 万代道円の発願により、足利二代将軍義詮が父尊氏の遺志をついで工費を寄進し、普明国師を講じて開山したもので、宗旨は臨済宗、創建当時は東西三町にわたる宏荘な大寺院であった。本尊は宝冠の釈迦如来。
1389年3月、足利三代将軍義満は厳島参詣の帰途、船を天寧沖にとどめ舟橋をかけさせて上陸し、この寺に一泊して備後の守護山名氏の饗応を受けた。1688~1703年に、三原の宗光寺の一雲椿道によって再興され、そのとき改宗して曹洞宗になったが、1682年雷火のため全山消亡、わずかに後山の海雲塔を残すのみであった。
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ここの金堂の保存修理工事では、建物の右側の側面の戸と左側の側面の戸をめぐって、戸を右前に並べるか、それとも左前にするか、それをめぐる話があります。
金堂の左右側面の戸は、舞良子(まいらこ)と呼ばれる細い桟が一定の間隔で取り付けられています。こういう側面にある戸は、中世までの建物では、左右の戸が建物の正面から見て対称になっていることがよくあります。右側の側面の戸が右手前に並び、左側の側面の戸は左手前に並ぶことです。
西国寺の金堂の左右の舞良戸も右側面は右手前に並び、左側面は左手前に並んでいました。
ところが、保存修理を終わってみると、左右とも右手前に戸を並べてしまっていたのです。建具を担当した職人が、引き違いの戸は右手前と思い込んでいたため、こういう間違いが起きてしまったのです。



















