遠い昔、長江が文字どおり長い入り江であった頃、この一帯は海辺だったので、磯の弁天と呼ぶようになったそうです。今は建物の陰にひっそりと残っています。
現在の神社はあまりにも小さもく、昔からこの狭さであったとは思えません。
横のお店の裏側に名前もいわれも不明の神社があります。この神社と関係があるのでしょうか?
この不明の神社は現在もお祭りをしているようですが、近所の人や市役所に聞いても情報はありませんでした。
【伝説 ひなじの仇討ち】】
尾道の港が千石船の出入りでたいそうにぎわっていたころ、町にはたくさんの遊女がおりました。遊女は疲れた旅人や船乗りたちを慰めるためにいたのです。多くの遊女は、貧しい親を助けるために働いて
いました。そのなかに、芸事にすぐれ小太刀をも習った「ひなじ」とういう遊女がいました。
ひなじは三人姉妹の末娘でした。三人は都の生まれでそろって美しく、中でもひなじはきわだって美しい娘でした。
そのひなじに恋をした安無平四郎という若者が
いました。ひきしまった口元に涼しい目をした平四郎を、ひなじも一目で好きになり、二人は夫婦になる約束をしました。平四郎はひなじの美しさや優しさをとても大切なものに思っていましたし、ひじは平四郎のさっばりとした気性を深く愛していました。
ところが、三上五郎太夫という蛇のような目をした侍がおりました。乱暴で嫌われ者の五郎太夫もまた、ひなじにひかれ、しつこく言い寄っていましたが、ひなじは相手にもいたしません。
今でこそ、長江通りは埋め立てられ平らな上地になつていますが、そのころは深い入江で、
離れるどころかいっそう深くなっていきました。五郎太夫はたくらみが失敗に終わったばかりか、ひなじには見向きもされないと分かって、平四郎に対する憎しみがますます燃え上がっていきました。
さてあるとき、ひなじは平四郎が約束していたのに来ないので、心配しながら待っていました。すると夜明け近く、入江で人々の騒ぐ声がします。のぞいて見ると、そこには平四郎の無惨な死体が流れついていました。かけがえのない人を失ったひなじの悲しみはどんなものだったでしょう。青ざめたほおに乱れかかる黒髪をはらって
東西に渡る船がありました。
その船頭の勘平を仲間にした五郎太夫は、ニ人の仲を裂こうと悪たくみをめぐらしていました。
ある夜ひなじが船に乗ったとき、勘平はさびしい場所の船を寄せて乱暴しようとしました。ひなじはとっさに知恵を働かせ
「いずれ日を改めて…」
と汗とりを与えて、危うくその場を逃れました。五郎太夫はその汗とりを勘平から受取り、平四郎に見せびらかし
「これこのとおり、ひなじはもう俺のものだ」
と言いましたが、信じ合っている二人の愛は
立ち上がったとき、ひなじには今までの美しさはありませんてした。
その夜、ひなじは平四郎の形見の脇差を袖にかくして、五郎太夫に近づき
「かたき!」
と叫んでグサリとその脇腹に突き立てました。
勘平、そなたも一味か」
と叫びました。ひなじの勘平を見る目は憎しみにみちていました。ふるえあがった勘平は
「昨夜五郎太夫さまが船に来て、私に言いつけて平四郎さまを誘い出し、斬り倒して川の中へ投ず込んだのでございます」
美しい尼がいて、折々に尾道の話をしていたということですが、その尼がひなじであったかどうか、今では知るすべもありません。
尾道民話伝説研究会編「尾道の民話・伝説」より
嵐が吹き荒れる中、その足で長江の渡しに出たひなじは、勘平の船に乗るとさり気なく
「向こうの岸に渡してくだされ」
と頼みました。何も知らぬ勘平がこぎ出すと、いきなり刀を突きつけて
「平四郎さまを殺したのは五郎太夫か。
とすべてを白状しました。それを聞いたひなじは、五郎太夫と同じように勘平にも恨みを晴らし、そのままい ずこへともなく去っていきました。
まこと、ひなじは桜花の散りぎわのようにいさぎよくを人々の前から姿を消したのでした。
その後、京の北山というところに