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下
段
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むかしの船着場(改修されていますが)です。
干満の差が4mほどあるので、人手で荷下ろしするため、船との渡し板の角度がゆるやかになるよう階段状になっています。
災害時に電力やクレーンなどの燃料がなくなっても、人手でなんとか荷下ろしができますね。
干満の差は、日本海では20cm程度、太平洋側では1.5m程度。瀬戸内海の中央部では、荷物の積み卸しが人手の時代は大変だったのでしょう。
この石段は「雁木(がんぎ)」といいます。
【風琴と魚の町】より 林芙美子著
浜には小さい船着場が澤山あった。
河のやうに、「ぬめぬめした海の向うには、柔らかい島があった。島の上には白い花を飛ばした木が澤山見えた。その木の下を牛のやうなものがのろのろ
歩いていた。
ひどくく爽やかな風景である。……天婦羅を一つ買った。……私は、母とその島を見ながら、一つの天婦羅を分けあって食った。
「はようもどんなはいよ、売れな、売れんでもえゝとぢゃけに…。」母は仄(ほの)かな侘びしさを
感じたのか、私の手を強く握りながら私を引っ張て波止場の方へ歩いて行った。
肋骨のやうに、胸に黄色い筋のついた憲兵の服を着た父が、風琴を鳴らしかながら「オイチニイ、オイチニイ」と坂になった町の方へ上って行つた。………