781年の創立、1495年に曹洞宗の寺として再建。開山は季雲永岳禅師(実質的な開山は2世天叟順孝禅師)、静岡県の石雲院(静岡県榛原町)末寺。
現在の本堂と客殿は2011年4月に落成したもの。
本尊は虚空菩薩(智慧・功徳の広大無辺なことが虚空即ち天を蔵する如くなる仏様)。
相模原の曹洞宗の寺院の中では一番古いお寺ですが、数度の火災に遭っています。
11月 2018のアーカイブ
家族関係のぎくしゃくは、過干渉と過放任!
核家族の場合、家族間のぎくしゃくは、大きな問題になりかねません。家族全員が一緒に過ごす時間が大事ですね。その時間が少ないと、子供にとっては特に厄介な問題になりかねません。大家族、あるいは、田舎のような近所付き合いが残っていれば、より多くの大人、ときにはペットの他、やぎ、牛、馬などの動物との関係性ができ、いやしの機会が多くなります。”面倒”と、”いやし”のどちらが子供の将来に、メリットを生み出すのでしょうか!
尾道 石段に職人の思いが込められた「御袖天満宮」
映画好きの若者ならみんな知っている大林監督の「転校生」で、一夫と一美が転げ落ちる石段。長さ5mもの1本石が54段も連なると実に美しい。残り1本をわざと継いだのは、石工の心遣い。さて、両側の石垣の勾配も、これは芸術的。
石段を上がった右手には、天神さんのお使いの牛が鎮座し、拝殿左の池の向こう、大きな石の筆が立つ。右隣の一文銭の碑は、泥棒の疑いをかけられた若者が、天神さんに願を掛け、濡衣晴らしたそのお礼に建てたもの。
ゼロ歳の時から健全なこころを育てる!
昨今、不可解な事件のニュースをよく見ます。もう不可解とは思わないで、ごく普通の事件として考えなければならない時期が、来たのでしょうか? 核家族の定着が、二世代目から三世代目になってきたことにも、その要因があるのでしょうか? 赤ちゃん時代から、出来るだけ多くの大人と接触することが少なくなると、大人になるための学びが、少なくなるのでしょうか?
鎌倉 洋画家黒田清輝のアトリエで使用も「啓運寺」
材木座所在。日蓮宗。山号は松光山。開山は啓運日澄という。寺史は明確でないが、『鎌倉志』は長勝寺の項で「寺僧云、近来妙法寺と、啓運寺と寺号歴を易たり。辻町の啓運寺は、元妙法寺なるを、今は啓運寺と云ひ、名越の妙法寺は元啓運寺なるを、今妙法寺と云ふ。其謂を不知」と記す。建物・本尊なども新しい。境内稲荷社の神体木造船守稲荷神像をも本堂内にまつっている。
[文献]『市史』社寺編
十分に唾液が出ると若さを保つ!
「よく噛みなさい」と言われていました。よく噛むことが習慣になっていると、歳を取ってもドライマウスになりにくいのでしょう。ドライマウスになると、噛み砕いた食物を飲み込みにくくなり、味を感じるのもにぶくなるのでしょう。唾液は、咀嚼、嚥下、発音、味覚といった口の働きを助け、呼吸器官と消化器官の入り口で、病原菌から身を守る生体防御としても重要な役割を果たしているので、唾液腺活性のマッサージの方法を覚えましょう!
尾道 江戸時代尾道石工のノミ跡「済法寺磨崖仏」
済法寺の裏山斜面に多くの磨崖の羅漢像が刻まれています。 済法寺の裏山の一面に広がる巨岩に、釈迦如来座像を頂点として、4段ぐらいの岩群に、光背状に彫りくぼめて半肉彫りする十六羅漢磨崖仏があり、江戸時代の尾道石工の技術の切れをノミ跡に見ることができます。
子供への脅しは大人本位の行為!
子供は、言葉が話せない幼少期でも、まわりをしっかり見ています。たとえば、お母さんが同じぬいぐるみを両手に持って、赤ちゃんにそっと突き出してみます。その時、お母さんが右手のぬいぐるみを、やさしく見ながら差し出すと、赤ちゃんはそのぬいぐるみを取ります。目でコミュニケーションができているのです。この幼少期でも、視線や声で叱る、あるいは、脅してしまうと、赤ちゃんの心に残ってしまうのでしょう!
鎌倉 鎌倉市内屈指の大寺院「光明寺」
浄土宗大本山。詳しくは天照山蓮華院光明寺。開基は北条経時、開山は記主禅師然阿良忠。仁治元年(1240)鎌倉に入った良忠のため、経時が佐助ヶ谷に一寺を開き蓮華寺と名づけたが、のち同寺を現在地に移し、寺名も光明寺と改めたと伝える。移建・改名などの時期については寛元元年(1243)とする記録もみられるものの確証はない。また、良忠のために大仏朝直が開創した佐助ケ谷の悟真寺が蓮華寺と改名、さらに光明寺に発展したと考える説もある。
「脅し」の効果は!
「脅し」は、自分が上でないと成立しません。むかし有名な歌手が、「お客様は神様です」と頻繁に言ったため、その言葉が心に刻まれたのでしょう。長い年月が経つうちに、店にクレームをつけるために、商品を購入する客が出てきています。「自分が上」という発想は、差別やパワハラだけでなく、いじめにまでつながります。気をつけましょう!
厚木 曹洞宗僧侶の修行道場だった「清源院」
1050年天台宗の桓瞬和尚が開山と伝わる古刹。
天巽和尚は、足柄の最乗寺15世を勤めた人、最乗寺での務めを終えられて沼田の龍華院に帰る途中、上州で起きた戦乱に巻き込まれることを避け、上荻野にある松石寺に足止めされていたとき、松石寺の住職の地位を譲られた天巽は、三田にあり荒廃していた天台宗清源院の再建に乗り出す。曹洞宗に改められた清源院は、天巽派の寺院として復活を遂げる。
つらい気持ちにフタをすると!
集中力が継続して高い人は、自分の疲れに気がつきにくいものです。故郷がある人は、リフレッシュのために田舎に帰ると、心の疲れが一気に吹き飛ぶものです。そのような故郷を、子供のうちに持たせてあげたいものです。昨今、都会育ちの若い人が、田舎に移住するのは、そんな目的もあるのでしょうか!
鎌倉 非公開の「平家の赤旗」ある「補陀洛寺」
「平家の赤旗」といわれるものがあります。1185年(文治元年) 3月、平氏は壇ノ浦で滅びましたが、そのとき平家の総大将の平宗盛が最後まで持っていたのがこの旗だといわれ、捕らえられて鎌倉に来たときにこの旗を頼朝に献上し、頼朝が補陀洛寺に奉納したといわれています。旗には「九万八千軍神」と書かれており、合戦のときにたくさんの軍神に祈ったことがわかります。ただし非公開です。
平家の「軍神」は、「伝書鳩」で通信を行っていた源氏に勝てなかったのでしょうか?
物事を理解する最初の一歩「直感」!
AIが進歩していくなかで、「直感」というものが、どのように位置づけられるのでしょうか? 直感は、体験を基礎とした経験がベースになっているのでしょう。この体験というものを、AIではどのように扱うのでしょうか? いろいろな測定器により、数値化したデータを基礎とするのでしょうが、私たち自身が、直感が生まれてくる過程がよくわかっていませんね!
尾道 用水鉢に押さえ付けられた天の邪鬼「浄泉寺」
1631年に改築した本堂が、1702年の大火で類焼し、1782年再建、1888年堂舎炎上、1892年から本堂の再建にかかり、1911年12間四面総欅造りの本堂が竣工した。
「ツイていない」と考えてしまうクセ!
「比較する」ことは、単に、違いを明らかにするだけに止まらず、その違いに自分勝手に優劣をつけ、評価してしまう場合がよくあります。この自分勝手な評価が、ツイていないだけでなく、差別、あるいは、いじめにつながったりします。違う部分の事実のみに目を向け、先入観にとらわれることなく、多くの知識と情報を集め、対処方法を考える、ということが必要ですね!
鎌倉 窟内に清水が湧出する「銭洗弁天宇賀福神社」
窟内には清水が珍しく湧出していて鎌倉の名水の随一である。往時福神とか福人とかが銭を洗っていたといふ因縁から、この清水を銭洗井の名跡で僅かに語り伝へてゐる。
この銭洗井に今日弁財天の北ってあることには不思議はない。佐介谷は平常寂しいところで、一方稲荷社の参詣道には人家も少しはあるか、こちらの窟の方へは全くの野径そのままである。それが1年一度は大層な信者を引つけてゐた。世界大戦景気(第一次大戦のこと)の熾んなことがこの弁財天流行の絶頂と云ってよかったろう。信者は主として横浜あたりから来てゐた。大正九年の春であったかと思ふが、人にすすめられて行ってみると、窟内は御幣や御蝋で一杯になってゐる。佐介稲荷でここも兼ねて受持ってゐると聞いたが、禰宜らしい人や俄神人たちが寄り集って御符を出してゐる。成程ひどい人出である。
幸福は恩の与えっぱなし!
地域の風土として、気兼ねなく親切にして貰える地域があります。この「気兼ねなく」とは、親切にした側も、親切にされた側も、その見返りを一切考えていない、ということです。四国の巡礼さんへの「お接待」のようなものです。私の育ったところでは「てごうする」という言葉がありました。手伝いをすることですが、「手伝い」はなんらかの見返り(ほめて貰える、小遣いを貰えるなど)があるようでした。「てごう」は手伝いっぱなしで、見返りはまったく意識していない手伝いだったような雰囲気がありました。地域によっては、見返りを考えなければ、といった雰囲気があるところもあります!
尾道 日比崎にある石仏の山「竜王山」
天狗や蔵王権現・不動明王など修験道や密教に関わるの石仏が林立している。この地も「さびしんぼう」のロケ地となっている。
竜王山は、四国の石鎚山を信仰する人々の修験道場であった。竜王山の霊場の石垣の上には石造りの石鎚社があり、その周りには石鎚権現や修験道に関わる石仏などが数十体、林立する。石鎚山は役行者が開いた神仏習合の修験の道場で、石鎚権現として全国で信仰を集めている。
父親の威厳というもの!
子供達は、父親の背中から「社会のきびしさ」を、学ぶ機会が少なくなってきている。母親が、父親を立てないで、自分を立てているためだろうか? 人類の進化の過程で、男と女の脳の構造は異なった進化をしてきた。それは男女の役割分担が大きく作用しているのだろう。男女の仕事の同一化は、これからの人類の進化に対して、プラスに働くか、マイナスに働くのか!