本尊は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏) 開基は、1525年に宗円が現在の木ノ庄町市原の地に一精舎を建立したのが始めで、その後1596年に現在地に道場を移した。
1631年に改築した本堂が、1702年の大火で類焼し、1782年再建、1888年堂舎炎上、1892年から本堂の再建にかかり、1911年12間四面総欅造りの本堂が竣工した。
その大屋根には畳16畳という鬼瓦を東西に頂き、瀑布の流れ下るような瓦の波は近在随一の大伽藍である。
本堂前の水盤「離垢」の名文は頼山陽の筆で、「浄泉即是萬劫不乾」などの句が読まれる。また、元禄時代の尾道の石工の名工の作、雨受盤をささえる「天邪鬼」は有名。
昔は「昼寝寺」として有名だった。本堂の広い縁側で、昼寝や将棋をしている人を見かけました。(今は禁止になっています。)
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えると極楽浄土に往生できる、という信仰の本尊にもなったのが阿弥陀如来です。
もともとはインドの王でした。ところが世自在王(せじざいおう)如来の説法を聞いて開眼し、身分を捨てて出家、法蔵(ほうぞう)と名のり修行僧になります。法蔵に仏法を教えてほしいと懇願された世自在王如来は、二百十億ものさまざまな仏の世界を現してみせました。そこで法蔵は、理想の世界について五劫(ごこう)という果てしなく長い間、熟考を重ねます。これが「五劫思惟」です。
くるとされていますが、その迎えには九階級あり、「九品(くほん)」といいます。「九品往生」とは、生前の行いや功徳により、往生のランクが決まるという考えです。まず、大きく上品(じょうしょう)・中品(ちゅうしょう)・下品(げしょう)に割り振られ、それぞれが上生(じょうぼん)・中生(ちゅうぼん)・下生(げぼん)に分けられます。つまり、最高ランクは「上品上生」、最低は「下品下生」です。その階級ごとに「九品来迎印(くぼんらいごういん)」が定められており、その人にふさわしい印を結んだ如来が迎えにくるというわけです。
この思惟の末、法蔵は「四十八の大願(たいがん)」を立て、これを実現させて悟りを得ることを誓いました。そして仏となったのです。この四十八の大願のうち、重要なのが十八番目の「念仏往生(ねんぶつおうじょう)の願(がん)」。念仏を唱える者は、極楽浄土に生まれ変わらせるという誓いです。
阿弥陀如来の信仰は、平安時代の※末法(まっぽう)思想の流行とともに貴族を中心に広まりました。鎌倉時代には法然が浄土宗の開祖となり、弟子の親鸞(しんらん)は浄土真宗をおこします。こうして大衆に浸透していきました。
浄土信仰では、臨終すると阿弥陀如来が迎えに