1050年天台宗の桓瞬和尚が開山と伝わる古刹。
天巽和尚は、足柄の最乗寺15世を勤めた人、最乗寺での務めを終えられて沼田の龍華院に帰る途中、上州で起きた戦乱に巻き込まれることを避け、上荻野にある松石寺に足止めされていたとき、松石寺の住職の地位を譲られた天巽は、三田にあり荒廃していた天台宗清源院の再建に乗り出す。曹洞宗に改められた清源院は、天巽派の寺院として復活を遂げる。
カテゴリーアーカイブ: からだの散歩
鎌倉 非公開の「平家の赤旗」ある「補陀洛寺」
尾道 用水鉢に押さえ付けられた天の邪鬼「浄泉寺」
鎌倉 窟内に清水が湧出する「銭洗弁天宇賀福神社」
窟内には清水が珍しく湧出していて鎌倉の名水の随一である。往時福神とか福人とかが銭を洗っていたといふ因縁から、この清水を銭洗井の名跡で僅かに語り伝へてゐる。
この銭洗井に今日弁財天の北ってあることには不思議はない。佐介谷は平常寂しいところで、一方稲荷社の参詣道には人家も少しはあるか、こちらの窟の方へは全くの野径そのままである。それが1年一度は大層な信者を引つけてゐた。世界大戦景気(第一次大戦のこと)の熾んなことがこの弁財天流行の絶頂と云ってよかったろう。信者は主として横浜あたりから来てゐた。大正九年の春であったかと思ふが、人にすすめられて行ってみると、窟内は御幣や御蝋で一杯になってゐる。佐介稲荷でここも兼ねて受持ってゐると聞いたが、禰宜らしい人や俄神人たちが寄り集って御符を出してゐる。成程ひどい人出である。



















