「東身延」とも呼ばれる。佐渡配流から帰った日蓮が一時、この夷堂に滞在し、辻説法などの拠点としていた。
本覚寺の開山は、日出上人、駿河の国三島の出身の学者。後に日蓮宗の僧となった。
寺伝によると、日出上人は熱心に布教活動をしたが、日蓮聖人同様激しい反対に遭い、捕らえられたが、そのときの鎌倉公方足利持氏が、その熱意に感心し、日蓮聖人ゆかりの夷堂のあるこの場所を与え、1436年に建立された。
カテゴリーアーカイブ: からだの散歩
尾道 文化財の宝庫「浄土寺」
尾道 尾道一の絶景「浄土寺山山頂」
鎌倉 スサノオノミコトを祀る「八雲神社」
海老名 有鹿姫伝説の「有鹿神社」
鎌倉 鎌倉で五重塔は珍しい「龍口寺」
尾道 清楚で風格のある「西郷寺」
鎌倉 源氏の秘密兵器「伝書鳩」その関係は「鶴岡八幡宮」
福山 おっぱいがいっぱい「阿武兎観音」
鎌倉 「元鶴岡八幡宮」の横に芥川龍之介が住んだ
相模原 南区 一遍が訪れた「無量光寺」
鎌倉 静かな趣の寺「浄智寺」
福山 鞆 坂本龍馬と紀州藩「いろは丸展示館」
いろは丸事件ば、慶応3年(1867)4月、龍馬は海援隊を組織し伊予大洲藩から借げ受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」に乗って長崎から大坂に物資(鉄砲)を運ぶ途中、岡山県六島沖(現在の同県笠岡市)で、紀州藩の蒸気船「明光丸」に横から衝突されたのです。明光丸は鞆港へ向けて、いろは丸を曳航しようとしましたが、浸水のため宇治府沖で沈没してしまいました。
このため両者は鞆の浦にとどまりの損害賠償について昼ゆ夜交渉を繰り返しましたが決裂し、舞台を長崎に移して再交渉を行いました。最終的に、龍馬側が賠償金を受け取る、ことでようやく決蒲ししました。
この事件は、坂本龍馬が暗殺(この時、龍馬33才)される半年前のことです。



















