【伝説 雷と千光寺山の大松】
千光寺山頂に杉原民部太夫元恒の築城した権現山城の跡に、千畳敷という平地があります。その東北に八畳岩という大きな岩があり、そこに物見やぐらが建っていました。物見やぐらからは木ノ庄町木梨にあった杉原氏本城鷲尾山城が望まれ、また尾道もひと目で見渡せたそうです。
その物見やぐらの跡に、大きな古松がひときわ高くそびえていました。人々はその松を「物見の松」と呼んでいました。………
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ここの金堂の保存修理工事では、建物の右側の側面の戸と左側の側面の戸をめぐって、戸を右前に並べるか、それとも左前にするか、それをめぐる話があります。
金堂の左右側面の戸は、舞良子(まいらこ)と呼ばれる細い桟が一定の間隔で取り付けられています。こういう側面にある戸は、中世までの建物では、左右の戸が建物の正面から見て対称になっていることがよくあります。右側の側面の戸が右手前に並び、左側の側面の戸は左手前に並ぶことです。
西国寺の金堂の左右の舞良戸も右側面は右手前に並び、左側面は左手前に並んでいました。
ところが、保存修理を終わってみると、左右とも右手前に戸を並べてしまっていたのです。建具を担当した職人が、引き違いの戸は右手前と思い込んでいたため、こういう間違いが起きてしまったのです。