亀山(久保)八幡神社(祭神:応神天皇)
尾道市西久保町  標高:11.5m ~ 19.5m
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 応神天皇が即位22年(西暦291年)に淡路・播磨・小豆島を経て、尾道の当地に巡幸されたといわれている。海辺に玉子に似たひかり輝く石を御覧になり、亀の形をした小さな丘で休息。当地の里人はこの地に祠を建てて聖地として崇敬したとされている。

 神社としての創建は貞観年間(859年~877年)と伝わる。当地は京都から宇佐八幡に勅使を派遣する際のご参詣及び宿泊の地となり、当地を亀山八幡宮として祀ったという。

 境内には一対の灯篭「軍配灯篭」や手水の水盤の牡丹の彫刻が見事とされている。
 比較的敷地の広い神社です。参道は本通りから続いており、JRと旧国道2号線に分断されています。

 応神天皇は、父の新羅征伐の帰り福岡で生まれたとされているので、瀬戸内海とのつながりは深いのかもしれない。(応神天応は「確実に実在をたしかめられる最初の天皇」とされています。)
 一の鳥居

 1659年の笠木の反りが美しく、貫にわずかに反りがみられる独特の形状をしている。
 注目したのは、鳥居上部の笠木、島木が一本物の石から創られている事と、反りの大きさである。普通島木部分は柱間において直線であるが、この部分までが大きな反りが付けられている点である。創られた時代は、亀山八幡宮の鳥居が萬治二年(1659年)と支柱に彫り込まれている。
八幡宮鳥居支柱に刻まれた文字を読むと、大工石屋与七郎、小工石屋助六、石屋中と有り棟梁与七郎、助六を中心に石工集団で創っている事が伺える。笠木島木が一本物の石で、巾約20尺5寸(6.15m)反りが大きく、豪快で力強く両翼を上げた迫力満点の鳥居で




横綱の不知火型の土俵入りをイメージして創られたのではないかと、私は推測したい。それほど他の鳥居とは違い石工与七郎の卓越した石工魂を感じる傑作である。又反りの大きさは、地元石工の古老から伺ったところに依ると、倍反りと言って通常の鳥居笠木二本分の原石から一本の笠木を彫りだすので労力は三倍以上かかるとの事である。

児玉康兵著(「尾道の石造文化(1) ~江戸期の尾道石工を中心に~」 発行:尾道市立大学より転載)




 随身門

 海から亀山に応神天皇が上がったという
 神社の参道をJR山陽線が横切っています。
尊光寺へ:   浄泉寺へ:   れんが坂入口へ:   正念寺へ:
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