この迫力は一級品と言えよう。大きさはさほど大きくは無いがお薦め出来る石造品である。願主和泉屋保兵衛と有り、文政四年(1821年)尾道絵図を見ると石屋町の大地主である事が判る。和泉屋保兵衛抱と記入された建物が多数存在する所を見ると、石工に土地建物を貸していたのでは無いかと推測される。最も腕のいい石工に発注したのであろう。
児玉康兵著(「尾道大学からの発信5」発行:尾道市立大学より転載)
手水舎
手水舎は山口寿安が、その後息子で名誉市民である山口玄洞が上屋の建物(手水舎)を、親子2代に亘って寄進したもの。