本殿 正月
応神天皇(八幡神)を祀る神社といえば、九州の宇佐神宮が名高い。九州の宇佐神宮の伝承によれば、八幡神は、はじめ「三歳」の童子で、竹の葉の上に出現したという。いわゆる「小さ子」の異常生誕に通じるのだが、一般には、この宇佐の八幡神と応神天皇は、同一ではない、
と考えられている。
もともとは宇佐の土着の神に過ぎなかった八幡神が、のちに応神天皇に重ねられた、というのだ。つまり、宇佐神宮の主祭神に誉田別命(ほむたわけのみこと)(応神天皇)と大帯姫(おおたらしひめ)(神功皇后)が選ばれたのは、
後世の付会だったというのである。
しかし、はたしてこれは本当なのだろうか。神功皇后と子の誉田別という「名」が八世紀の『日本書紀』の中で創作されたとしても、それ以前、二人が宇佐とまったく関わりがなかったかというと、
昭和のはじめ頃の写真
むしろ答えは逆なのではないかとも考えられる。
八幡神は、もとは九州の航海系民族の神さまで海神でした。
「八幡」は船に立てるたくさんの旗を表わす言葉でしたが、その後、大分県の宇佐(うさ)八幡宮を本宮として、
八幡神(応神天皇(おうじんてんのう)の神霊とされる)を祭神とするようになったのです。
八幡神は、早い時代から反乱の鎮圧や仏教の保護などに霊験を示して各地への広まりをみせます。