応神天皇が即位22年(西暦291年)に淡路・播磨・小豆島を経て、尾道の当地に巡幸されたといわれている。海辺に玉子に似たひかり輝く石を御覧になり、亀の形をした小さな丘で休息。当地の里人はこの地に祠を建てて聖地として崇敬したとされている。
神社としての創建は貞観年間(859年~877年)と伝わる。当地は京都から宇佐八幡に勅使を派遣する際のご参詣及び宿泊の地となり、当地を亀山八幡宮として祀ったという。
境内には一対の灯篭「軍配灯篭」や手水の水盤の牡丹の彫刻が見事とされている。
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鎌倉 北条氏の氏寺であった「浄光明寺」
生口島 島の災害鎮圧と興隆繁栄の祈願「向上寺」
鎌倉 祇園天王社と呼ばれていた「八雲神社」
尾道 のんびりとした船旅「駅前桟橋」
厚木 美女神の木花咲耶姫命を祀る「子安神社」
鎌倉 身代地蔵(裸地蔵)が有名な「延命寺」
厚木 小野小町の生誕地か?「小野神社」
厚木 巨石が掌を合わせた「大釜大弁財天尊」
鎌倉腰越 小動神社の別当寺だった「浄泉寺」
昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
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