境外末社で、今宮神社ともいう。
むかしは、「魔境にて、天狗ここに住むという」と旧書に記される。当時は八幡宮の境内からだいぶ離れ、深い森林の中であったのでしょう。
。
祭神は後鳥羽天皇、順徳天皇、土御門天皇。
「承久の乱」(1212年)の朝廷側の人物たちで、幕府は勝利をおさめ、後鳥羽帝を隠岐へ、順徳帝を佐渡に配流し、両帝ともその地で歿した。また、土御門帝はみずから土佐、のちに阿波へおもむいた。
その争いに勝つには勝ったものの、幕府は後鳥羽帝の怨霊をおそれ(実際にさまざまな怪異が生じたという)、1247年(宝治元年)四月に当社を創建した。そのときか、のちのことか不詳ながら、順徳帝を合祀、土御門帝は明治以降の合祀である。
承久の乱の後、後鳥羽(ごとば)・土御門(つちみかど)・順徳(じゅんとく)の各上皇が流罪になると、国中に火災や悪い病気とかききんが次々に起こりました。人々はこれは上皇のたたりであると恐れ、その魂をなぐさめるため、今宮を建てておまつりしたそうです。その後、各地に今宮が建ち、日本中に広がったといわれています。お宮の後ろにあった六本杉には、天狗が住んでいたとか、光るものを見たなどという話が伝わっていました。この杉は、幹が六本に分かれた珍しい形をしていたそうです今はもうありません。
鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より