新宮神社 → 円応寺へ
距離:613m  標高 出発:33.4m 到着:49.8m 最高:49.8m 最低:18.1m
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 参道を下っていきます。
 ここを右折します。












 ここを右折し、
 道なりに上っていきます。
 「二十五坊(にじゅうごぼう)旧蹟」の史跡案内の石碑があります。この奥一帯が鶴岡八幡宮に仕える供僧(ぐそう)達が住んだ、二十五坊(院)跡で、御谷(おやつ)とも呼ばれます。
 1191年(建友2年)に、源頼朝によってここに二十五菩薩をかたどって二十五坊が作られ、1415年















(応永22年)、院宣(いんぜん)によって「院」と改められました。院宣とは、上皇や出家した法王の命令文書のことです。その後、少しずつさびれ7院まで減りましたが、徳川家康によって再興され、12院になりました。しかし、明治になって、神仏分離が行われたとき、すべて廃止されてしまいました。昭和になると
宅地として開けていきました。戦後、大きな宅地造成が行われようとしたとき、貴重な遺跡を守る運動によって保存されることになりました。ここには「古都保存法発祥の地」という標識がありますが、この保存運動をきっかけとして「古都保存法」が制定されたからです。


 鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より