| 磯部八幡宮はもともと源氏の氏神であるとされ、境内には三社神、金刀比羅神社、山神宮、疱瘡神、稲荷社などが点在しているほか、御神像の仏弥陀が奉斉されている。 神社の創建時期は明らかでないが、1358年以前にはすでに旧磯部村の鎮守としてこの地で民衆の信仰を集めていたと見られている。 この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏祐圓で、別当は小田原玉瀧坊觸下の佛像院磯幡山神宮寺。1478年、太田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城(城主長尾景春)があった。 |
カテゴリーアーカイブ: からだの散歩
尾道 市立美術館から千光寺間にある「鼓岩」
鎌倉 季節の花木や野草が咲き乱れる「収玄寺」
厚木 旧名妙見宮(天之御中主神)を祀った「鐘鋳神社」
福山 鞆 たくさんのお地蔵様が「正法寺」
尾道 幕末、芸州藩が派兵し、この寺を本陣に「妙宣寺」
鎌倉 水戸光圀が7日間ほど逗留「英勝寺」
厚木 カッパの雨乞いの伝説「白山神社」
尾道 斜張橋で初の最大支間200m超え「尾道大橋」
座間 欽明天皇(539年即位)の御代に創祀「鈴鹿明神社」
福山 鞆 箏曲家宮城道雄の先祖墓がある「南禅坊」
鎌倉 もとは諏訪氏の屋敷内にあった守護神「諏訪神社」
尾道 瀬戸田 “往生要集”を体感「耕三寺千仏洞地獄峡」
愛川 半僧坊大権現を祭る「勝楽寺 半僧坊」
| 開山は天文13年(1544)能庵宗為禅師といわれています。毎年4月17日の春まつりには、近郷近在の新花嫁さんが挙式の当日の晴れ姿でお参りする習わしがあるので「美女祭り」として賑やかです。地元では平山の勝楽寺というより、田代の半僧坊という呼称が一般的です。 半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれている勝楽寺。遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、「田代半僧坊」と呼ばれています。 半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。 禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから半僧坊と呼ばれるようになったそうです。 その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。 |



















