この神社のお祭りで、勇壮な喧嘩神輿の三体廻しが、渡し場、中央桟橋前、浄土寺下の三ケ所で行われていました。昔は非常に激しく、御輿を海に投げ込んでいる場面がありましたが、いまはどうなっているのでしょうか?
この付近は、「新街」と呼ばれる飲み屋街。横道に入り込むと「迷路」です。しかし、どこかで広い道に出ますので、まあ、なんとかなります。しかし、酔っ払っているとどうなるかな?
志賀直哉が尾道に住んでいた頃は、この界隈を遊び回っていたのかな?
尾道の花街の人通りの激しい店先で、酒臭い乞食坊主が寝ているので迷惑この上ない。その人が俳人の種田山頭火であったとか。
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厚木 かっては石神社と呼ばれた「荻野神社」
座間 悪疫流行を抑えたお礼に「座間神社」
鎌倉 山門を潜ると石仏が並ぶ参道「光触寺」
尾道 大きな反りの豪快な鳥居「亀山八幡神社」
鎌倉 [おんめさま]の名で親している「大巧寺」
厚木 戦国毛利氏の祖 季光ゆかりの「光福寺」
鎌倉 桓武平氏の先祖を祀る「八坂神社」
尾道 三人の義賊、三つ首様をを祀る「海福寺」

【民話 海福寺の三つ首さま】
江戸時代の終わりごろ、尾道は凶作が続き悪い病気もはやり、世の中は騒然としていました。おまけにどろぽうや追いはぎまでも出没して、人々の心は安まることがありませんでした。
どろぼう一味の首領格と思われる者に、惣兵衛、亀蔵、利助というのがいました。この三人はどろぼうといっても、金持ちからお金や品物をうばい、貧しい人たちに恵んでいたのです。
ところがとうとうこの三人が捕えられました。
三人は文政十一年神無月(旧暦十月)の二十六日、木枯らしのふく寒い日に、処刑されることになりました。………


















