鎌倉  もとは鶴岡八幡宮寺だった「鶴岡八幡宮」

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 源頼朝が現在の場所に移し、武家政権を守る神社として大事にされ、寺院としての性格を持っていました。若宮・本宮・丸山稲荷は国重文です。

 1191年3月4日、小町大路あたりで発生した火事で全焼、そこで頼朝は、一段高いところに本宮を、下に下宮の二段構えの境内を構築した。当たりのには鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心にしました。
 その後も、たびたび火災や地震、津波で被害を受けてきたが、そのたびに再建の努力がされてきました。