建長寺から小袋坂を下って、明月院踏切へさしかかる途中の左側の小高い石段の上が長寿寺である。亀ケ谷坂はこのお寺の脇へ下りてくる。
石段を昇ると山門前にはこの坂の象徴亀公をふまえた石塔がある。なるほど、亀は万年というから、それで長寿寺か。昔の人は智慧がある。
開山は古先印元。開基は足利尊氏といわれる。
開山は古先印元(こせんいんげん)禅師。創建は1323年から1336年頃。開基は足利尊氏。
足利尊氏が自邸の跡地に創建、尊氏没後に子の足利基氏が堂宇をととのえたという。
2月 2023のアーカイブ
通人は冬にウナギを賞味する!
通人は「冬にウナギ」を食べるそうです。脂の具合がちょうど良いのだそうです。
ウナギは健康に良いのだそうですが、値段が値段だけに、なかなか食べることが出来ないですね。
ウナギの完全養殖は、商業ベースではまだ出来ていないのですが、研究段階では2010年水産総合研究センターで成功しています。なんとか商業化に成功してほしいですね。
福山 鞆 明治八年に官命によって社名が「沼名前神社」
今から千八百数十年前、第十四代仲哀天皇の二年、神功皇后が西国へ御下向の際、この浦に御寄泊になり、この地に社の無きことを知り、斎場を設け、この浦の海中より涌出た霊石を神璽として、綿津見命を祀り、海路の安全をお祈りになられたのが、当社の始まりです。
さらに、神功皇后御還幸の折、再びこの浦にお寄りになり、綿津見神の大前に稜威の高鞆(いづのたかとも(弓を射る時に使った武具の一種)を納め、お礼をされたところから、この地が鞆と呼ばれるようになりました。
そんなにあれこれ本を読むのは?
「雑読」は、多面的な考え方を手に入れる方法の一つです。考え方が狭くなると、いろいろな考え方の人と接することが出来ません。国家も一つの考え方になってしまうと、危険な国家と見られてしまいがちです。
「雑読」は、曖昧さ(はっきりしないこと)を許容します。多様な知識を手に入れた曖昧さは、接する人達に心温めることになるのでしょう。いろいろな人達を、そのまま受け入れることが出来るからでしょうね!
厚木 1891年に建てられた「岸邸」初春にはおひな様が!
岸家住宅は、広大な屋敷の入リロに薬医門を構え、主屋の他に土蔵3棟があります。建築年代は、「本宅上棟式祝儀受納帳」や棟札などから、主屋が明治24年(1891)、薬医門が明治19年(1886)と考えられます。
主屋は二階屋で、二階は寄棟造瓦葺、一階は銅板葺(一部鉄板葺)です。基本的な間取りは一階が土間を持つ六間取り、二階は10畳2室、12.5畳1室で、客座敷にはそれぞれ床の間・違い棚・書院が設けられており、ナカノマと呼ばれる部屋には、客用の正式な玄関である式台の変形した玄関がついています。
使用されている木材の質や仕上げは上質で、3尺幅の神代杉や楠木一枚板の戸が見られ、また、市松模様の赤色ガラスや欄間の彫刻や細工をど随所に凝った意匠が見られます。
「文化財散策ガイドあつぎ」(厚木市教育委員会発行)より
アメリカ本土攻撃をするための気球爆弾!
中国が上げた情報収集用の気球を、米国が打ち落としたニュースがあり、改めて太平洋戦争の時、日本が上げた「気球爆弾」があったことを思い出しました。
今回の中国共産党の言い訳は、なにか情けなく聞こえました。この言い訳を聞いたとき、中国という国ではなく、「中国共産党」が言い訳していると考えなくてはいけないのでしょうね。同じように、ロシアについても、ロシアという国でとらえるのではなく、「プーチンとその支持者」だけ、と考えなくてはならないのでしょうね!
鎌倉 鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「化粧坂」
この仮粧坂は鎌倉七切通の一つで、今も昔の面影を残し、国の史跡になっています。
この坂の名の起こりについては、平家の大将の首をここで化粧して首実検したことからその名が付いたとか、また、この坂のあたりに町家があって化粧した女達がいたからとか、木がよく生(お)い繋(しげ)っていたので木生えとか、気勢(気生・形勢)と呼ばれたことからきているともいわれます。
この険しい坂道は、藤沢から武蔵(むさし)方面に通ずる重要な道で、新田義貞(にったよしさだ)が1333年(元弘3年)5月、鎌倉攻めのとき、この仮粧坂に軍の主力を向けたので、激戦地になりました。
「おしゃべり」と「会話」のちがい!
NET社会になると。「知ったかぶりになりやすい」のでしょうか?
多くの人に見られるので、返って慎重になるのでしょうか?
それとも、人それぞれなのでしょうか?
情報の発信は、状況によって変わる人と、そうでもない人がいます。知識のみで自分を造り上げた人と、実際に自分の身をもって経験したことを基本にしている人とでは、やはり違いが出るのでしょうね!
尾道 山門は「ええもん」と呼ばれる「福善寺
福善寺寺域全体が中世山城「丹花(たんか)城」跡に立てられています。
守護大名山名宗全側近太田垣光景の子孫、但馬国城主太田垣因幡守の孫斐守が出家、名を行栄法印といい1573年尾道を訪れ、当時この地方には浄土真宗がまだ広まっておらず、行栄は近郊の住民に医業を施して生業(なりわい)とし、その傍(かたわ)ら久保町に道場を開き念仏布教を行っていた。
『ええもんは福善寺』と尾道の名物でもある入口の豪壮な山門は、龍の彫り物など木組み一式が京都の名工によって制作された。本堂は欅の紫宸殿造で人を圧倒します。
尾道では「ええもん」=「良いもの}という意味です。
全員一致は本来はあり得ないこと!
日本は「根回し」文化の国です。根回しには談合もあります。『日本書紀』の時代から談合の国です。 A建設、B建設、C建設などさまざまな企業が談合で出てきます。
そういった取捨選択、あるいは格付において絶妙に配慮が行き届いて、忖度しているといった具合です。
だから、『日本書紀』は日本の忖度文化の原型ではないかと思います。いわゆる独裁的な王権があったのではなく、連合王権のような国として成立してきました。
「根回し」には悪い面もありましが、良い面もあります。それは独裁者が出てこないことです。日本の独裁者と言える人物は織田信長ぐらいでしょう。
根回しの段階で、部下の意見を取り込むことができます。また、部下を上司の意見に近づけることも出来ます。
独裁国家にならないためには、効率に問題はあるのでしょうが、「根回し文化」もあって良いのでは、と思いますが!
相模原 西南 2012年4月出火、その後再建「下溝八幡宮」
2012年4月4日午後0時55分ごろ出火、木造平屋建ての本殿-約200平方メートルが全焼し、隣接する小屋の一部約10平方メートルが燃えた。けが-人はなかった。江戸時代に作られ、市の指定有形文化財に指定されている「木造不動明王-座像」は、別の社に保管されており無事でした。
バブルの頃「一卵性母娘」という現象が!
「親が子離れが出来ない」これも核家族の影響なのでしょうか?
子どもは、接する大人の数が少ないため、親を頼るようになり、親も気を使う人達が少ないため、子共中心になるのでしょうか?
やはり人づきあいが面倒なのでしょうが、親も子も多くの人達とそれなりの接触をし、社会というものの中での暮らし方を、身につけなくてはいけないのでしょう。
もう一度、人類の生き残り作戦として、社会というもののなかで、どのように暮らし方を身につけるか、考えて行かなければならないのでしょうね。SDGsは温暖化対策だけではないのでしょうから!
福山 鞆の浦 鞆湾の全景が見える「医王寺」
「医王寺」は他の社寺から少し離れた山手に位置しています。医王寺までの坂道は少なからず急で遠いのですが、境内からの眺望はその苦労に十分値するものです。
医王寺の足下の街道沿いには、江の浦・「焚場」の集落が道沿いに細.長く広がり、その向こう側に鞆港が大きく弧を描いています。さらに、港の北に広がる鞆の町並みの向こうには、仙酔島が望まれます。晴れた日の早朝にここを訪れれば、その景色を茜に染める朝日に出会うこともできます。
ひとつのイデオロギーで人間を支配したい人!
雑学に取り組んでいると、「まずは否定しない」ということが身につきます。
しかし、自分が興味があることだけに取り組んでいると、年齢を重ねていくほど、他の考え方を受け入れることが出来なくなってしまいます。ロシアのプーチン大統領もそうなのでしょうね。 こうなるとやっかいです。場合によっては救いようがありません。何かありますか?
鎌倉 材木座町内の五つの神社を一緒に「五所神社」
この神社は、1908年(明治41年)に町内にあった三島(みしま)・八雲(やくも)・諏訪(すわ)・金比羅(こんぴら)・見女八坂(みるまやさか)の五つの神社を一緒にしてまつったものです。祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)・素戔嗚尊(すさのうのみこと)・建御名方命(たけみながたのみこと)・崇徳院霊(すとくいんのみたま)・天照大神(あまてらすおおみかみ)で、毎年6月の第2日曜には盛大な祭りが行われています。境内の神輿庫には、神輿が安置されていて、「寛永十九年」(1642年)の棟札(むねふだ)がかかっています。例祭では、五所神社を出発した神輿は、昔から伝わる「天王謡(てんのううた)」を唄いながら材木座の町内を練り歩いた後、材木座海岸で海に入ります。
メタボリック症候群の診断基準!
健康診断で、どこかしらに異常の数値が出ます。しかし、自分では異常を感じることはありません。念のためお医者さんに行くと「歳相応だ」と言われます。
これは基準値の設定が、おかしいのでしょうか、それとも、診断用の測定器が健康診断には適していないのでしょうか。
もっとも、現在の科学では、おかしいと感じても、測定できないものは取り上げてはならない、ということが前提になっているようです。
「データで証明できないものは無視する」が、科学知識の基本になっているようですね。
そういえば「痛み」も、測定が出来ていないですね。痛みを表現する言葉も、整理できていないし、言葉の数も少ないですね。
私の出身地で痛みの表現に「にがる」とか「はしる」という言葉があります。痛みの感覚がわかりますか?
厚木 親鸞が布教の折りに滞在した草庵に「弘徳寺」
弘徳寺の袈裟掛けの松
飯山の千頭(せんず)に浄土真宗の弘徳寺があります。この寺に、開祖・親鸞上人が植えたと言われる松があります。松を植えるとき、親鸞が「我が信ずる本願は諸行にあらず、一向専念の宗義なれば二心並立にあらずして一心なり。この法諸仏の本意に叶うならば、二葉を捨てて一葉(ひとは)たれ」と言ったところ、一葉になったとされています。ふつうの松の葉は二本ですが、この松の葉は不思議なことに一本だったので、「一葉の松」ともよばれました。親鸞が植えた後に、覚如上人(かくにょしょうにん)が袈裟を掛けたので「袈裟掛けの松」とも言います。
この松は昭和三十五年に枯れたので、切り倒しました。今は本堂の前に根元の木口だけが残っています。またこの寺には、親鷺の子・善鸞(ぜんらん)の墓というのがあります。
「テンパって」判断ができない!
テッパってしまい、近くにいる家族に暴力を振るうニュースが増えています。それに加え最近は、見ず知らずの人にも、はけ口を求める人が出てきています。
「人を育てる」ということに、社会のどこかに間違いがあるのでしょうか?
人の社会の子育ては、生物ヒトとしてのしくみ上、肉親だけではなく、周囲の人達と共に、共同して社会で子育てをするとのこと。
育つ過程で、いろいろな人達と接することで、社会性を身につけ、大人になっていく過程が必要なのでしょう。
チンパンジーは、母親だけで7年かけて子育てをするが、その間は次の子どもを産むことが出来ないしくみとのこと。
2年で次の子どもを作ることが出来るヒトは、社会で子育てをする必要があるのでしょう!
尾道 瀬戸田 ここは日本か?「未来心の丘」
未来心の丘。
境内北方に位置する。瀬戸田の町と瀬戸内海を見渡せるイタリア産大理石を用いた環境芸術。彫刻家杭谷一東の作。
制作にあたって、「金は出すが、口は出さない。」と言って制作を依頼したとか。イタリアで制作し、ここで組み立て、調整した。
仏教護法の十二天よりテーマが設定されているようです。「十二天」とは、古代インドの聖典ヴェーダに登場していた神々が仏教に取り入れられ、十二天となりました。
中国では唐代に成立し、日本には平安時代前期に持ち込まれたそうです。
東西南北などの八方位に、天・地と、さらに昼・夜が加わって、十二天のかたちができあがりました。密教では曼荼羅(まんだら)に描かれ、主要な地位を占めています。
親子とは考えられぬことまで受けいれる!
NETやスマホを使った犯罪が多発しています。犯罪者は比較的若い人が多いのですが、その人達の親はどのように考えたらよいのでしょうか?
人間の脳が大人になるのは25才程度だそうですが、それまでどのように育てれば良いのでしょうか。
核家族が一般化し、社会で子どもを育てるという感覚が消えてしまい、犯罪者だけ、またはその両親が責任があるという社会になっています。
核家族という社会は、人類が初めて経験している社会体制だと思うのですが、その特性に応じた社会は、いつになったら整備されてくるのでしょうか!