神功皇后が三韓征伐のため西国下向の際、鞆の浦の地に寄泊しました。帰路携帯していた「鞆」を奉納し、海神・大綿津見命を祀った際に、妹君の淀媛命を祭主として奉任させました。その神社が沼名前神社(渡守神社)の起源です。 数年後に淀姫命は鞆の浦を去りましたが、後世その特を偲び氏神として奉斎し、鞆の浦湾の入口の丘の上に鎮座する護り神として現在に至ります。 現在の社殿は大正3年に建立。平成13年に修復。 |
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福山 鞆 2014年5月火事で焼失「大観寺」
福山 鞆 毛利輝元が足利義昭を迎えた「静観寺」
福山 鞆 たくさんのお地蔵様が「正法寺」
福山 鞆 箏曲家宮城道雄の先祖墓がある「南禅坊」
福山 鞆 昔は一帯の山麓を占め大伽藍だった「小松寺」
福山 鞆 ほぼ一直線に結ばれた寺町にある「慈徳院」
福山 鞆 見事な石造物が「阿弥陀寺」
福山 かつては海辺に寄った所に「本願寺」
福山 昔の商人の姿が残る「鞆の津の商家」
福山 最古の長い歴史を持つ港町「鞆の港」
福山 鞆 観心行ができる「顕政寺」
福山 鞆の浦で二番目に古いお寺「医王寺」
福山 子授け・安産.航海安全祈願の「阿武兎観音」

岬の岩頭に建つ朱塗りの観音堂は、その美しさから安藤広重(歌川広重)の浮世絵や志賀直哉の「暗夜行路」などにも紹介されており、今も瀬戸内の自然と調和した見事な景色をつくり出しています。現在、観音堂は国の重要有形文化財に指定され、安産・子育ての観音様として信仰を集めています。
福山 鞆 神功皇后が海路安全を祈る「沼名前神社」
福山 鞆 つわ者どものときの声「小烏神社」
福山 鞆 鬼子母尊講中お題目碑がある「妙蓮寺」
慶長年間(1596~1614)に実相院日玖が創建したと伝えられています。実相院日玖は元気で充実した年頃に日常のつきあいを断ち、法宣寺十四世恵性院日親の弟子となり、修行し、法華経を読すること40年、一万二千余巻におよんだ。
福山藩主・水野勝成殊勝に願い、寛永の末(1644年頃)今の地を賜い、三人扶持十一石を賜る。
本堂は、主として浄財を募り建立。上京し、本山から山号・寺号を請受した。庇護もあり、その勝俊の位牌が伝わる。承応年間(1652~1654年)に建立したと伝えられる三十番神堂があり、二代・日護の時、延宝年中(1673~1681)奉行・藤井六郎右衛門に願い出て、境内門前を広げ、四代・日義、元文四(1739)年に鐘を鋳造した。妙蓮寺本堂、鐘楼、山門とも元文年間(1736~1741)に再建された。