駅前にこんなに広い空間を公園にするという発想が、どこから生まれて来るのでしょうか。古くから尾道に住んでいる人にとっては違和感がないのでしょう。
しかし、他の都市はバスやタクシー乗り場以外は商業スペースになっています。
古くからの商業都市の尾道、駅前にしては広大とも言っていい公園スペースを許す文化があるのですね。
カテゴリーアーカイブ: 尾道
尾道 奇祭ベッチャー祭の「吉備津彦神社」
尾道 明治の火災の時、三重塔が残った「向上寺」
尾道 寄進された五百羅漢像「天寧寺」
尾道 五重塔から三重塔へ「天寧寺 三重塔」
ここには珍しい三重塔があります。当初は五重塔だったのですが、その後、四重と五重の傷みが激しくなったため、四重と五重を取り除いて、三重の上に新たに屋根をかけ、三重塔に姿を変えているのです。重要文化財に指定されています。建立は1388年(嘉慶2年)。三重塔に姿を変えたのは、それから300年後の1692年(元禄5年)のことでした。
本当に最初は五重塔だったのだろうかと疑う人もいるかもしれませんが、まず、五重塔の姿で描かれた古い時代の掛け軸が残っている。それに加えて、この三重塔は心柱が下まで通っている。五重塔では心柱を下まで通しますが、三重塔では初重の上から心柱を立てるのが普通です。梁の上に心柱を立てるのです。
尾道 瀬戸田 現代に生きる「耕三寺」
尾道 尾道西部の日比崎にある石仏の山「竜王山」
尾道 伽藍配置で最南端部に造営される「熊野神社」
尾道 江戸時代から続く花火大会「住吉神社」
尾道 2020年3月に閉館された「文学記念室 」
尾道 瀬戸田 耕三寺「千仏洞地獄峡」
尾道 魔除けの神猿さんが「山脇神社」
尾道 自然の岩に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」
尾道 浄土寺山の八合目あたりの巨岩に「不動岩」
尾道 天邪鬼が用水鉢の下に「浄泉寺」
2022年3月新しい展望台が「千光寺山 山頂」
福山 鞆の大仏とも、阿彌陀如来坐像「阿弥陀寺」
尾道 もとは祇園社、祭は今も祇園祭「八阪神社」
尾道 天保の大飢饉の慈善事業で本堂を建築「慈観寺」

本堂は、天保の大飢聾の際に、慧善事業とし豪商橋本竹下(ちっか)が出資して建築されたもの。入母屋造、本瓦葺(平瓦と丸瓦を交互に使う)の二重屋根を持ち、虹梁や蟇股(かえるまた=柱や屋根の重さを支える部材)には忙ぎやかな彫刻が施されている。
江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本・竹下は、その救済事業として本堂の改築を発願し、1834年工を起し1837年竣工したのが現在の本堂である。竹下はこの工事に難民を人夫として雇用し、尾道では一人の餓死者も出さなかった。 本堂は、天保の大飢聾の際に、慧善事業とし豪商橋本竹下(ちっか)が出資して建築されたもの。入母屋造、本瓦葺(平瓦と丸瓦を交互に使う)の二重屋根を持ち、虹梁や蟇股(かえるまた=柱や屋根の重さを支える部材)には忙ぎやかな彫刻が施されている。
江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本・竹下は、その救済事業として本堂の改築を発願し、1834年工を起し1837年竣工したのが現在の本堂である。竹下はこの工事に難民を人夫として雇用し、尾道では一人の餓死者も出さなかった。