この竜王山は広島県尾道市日比崎町にある山で標高144.6mです。(尾道市には「竜王山」という名前の山が5つもあります。)
そこに、天狗や蔵王権現・不動明王など修験道や密教に関わるの石仏が林立しています。この地も「さびしんぼう」のロケ地となっています。
竜王山は、四国の石鎚山を信仰する人々の修験道場でした。竜王山の霊場の石垣の上には石造りの石鎚社があり、その周りには石鎚権現や修験道に関わる石仏などが数十体、林立しています。石鎚山は役行者が開いた神仏習合の修験の道場で、石鎚権現として全国で信仰を集めていました。
カテゴリーアーカイブ: 尾道
尾道 伽藍配置で最南端部に造営される「熊野神社」
尾道 江戸時代から続く花火大会「住吉神社」
尾道 2020年3月に閉館された「文学記念室 」
尾道 瀬戸田 耕三寺「千仏洞地獄峡」
尾道 魔除けの神猿さんが「山脇神社」
尾道 自然の岩に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」
尾道 浄土寺山の八合目あたりの巨岩に「不動岩」
尾道 天邪鬼が用水鉢の下に「浄泉寺」
2022年3月新しい展望台が「千光寺山 山頂」
福山 鞆の大仏とも、阿彌陀如来坐像「阿弥陀寺」
尾道 もとは祇園社、祭は今も祇園祭「八阪神社」
尾道 天保の大飢饉の慈善事業で本堂を建築「慈観寺」

本堂は、天保の大飢聾の際に、慧善事業とし豪商橋本竹下(ちっか)が出資して建築されたもの。入母屋造、本瓦葺(平瓦と丸瓦を交互に使う)の二重屋根を持ち、虹梁や蟇股(かえるまた=柱や屋根の重さを支える部材)には忙ぎやかな彫刻が施されている。
江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本・竹下は、その救済事業として本堂の改築を発願し、1834年工を起し1837年竣工したのが現在の本堂である。竹下はこの工事に難民を人夫として雇用し、尾道では一人の餓死者も出さなかった。 本堂は、天保の大飢聾の際に、慧善事業とし豪商橋本竹下(ちっか)が出資して建築されたもの。入母屋造、本瓦葺(平瓦と丸瓦を交互に使う)の二重屋根を持ち、虹梁や蟇股(かえるまた=柱や屋根の重さを支える部材)には忙ぎやかな彫刻が施されている。
江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本・竹下は、その救済事業として本堂の改築を発願し、1834年工を起し1837年竣工したのが現在の本堂である。竹下はこの工事に難民を人夫として雇用し、尾道では一人の餓死者も出さなかった。
尾道 豪商の寄進で再建〈持善院〉
尾道 尾道で最初にできた神社「艮神社」
尾道 加藤清正を祀る清正公堂がある「妙宣寺」
尾道 裏山の岩に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」
尾道 千光寺山、たたくとポンポンと鳴く「鼓岩」
鼓岩(つづみ岩)、別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がします。
右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡だといわれています。
「鼓岩(つづみ岩)=ぽんぽん岩」 映画監督:大林宣彦
尾道の、海や町を見降ろす千光寺山の中腹に、ぽんぽん岩と呼ばれる大岩がある。小石を握ってその岩の真ん中を破くとぽんぽんと音がするので、そう呼ばれるのである。それはきっと、岩の内部が空洞になっている故なのだが、ぼくにはそれがまるで岩の声のように聞こえる。面白くて、楽しくて、そして恐ろしい。
だから、こどもの頃から、ぼくはこのぽんぽん岩が大好きだった。面白くて楽しいだけでは駄目。こどもは恐ろしいものに心ひかれるのである。