昔からロシア人は辛抱強く気が長い!

 ロシアのウクライナ侵略で、ロシアが勝とうと、負けようと、国民にとっては悲惨な結果しかないことを、どの程度わかっているのでしょうか。
 現在の世の中は、完全を求めすぎ、その姿勢が長くなればなるほど、自分の価値観だけでどんどん深めていってしまい、他の意見・知識を受け入れることができなくなっているようです。
 現代の教育が、一つの答えだけを正しいとする傾向があり、視野を狭めている傾向があるのでしょう。
 まだ電機冷蔵庫がない時代、小学校の教科書で「新鮮な魚の見分け方」で、魚の「目を見る」とか、「エラを見る」とか書かれていました。しかし、私の育った地域では、「魚にさわって動くかどうか」、いか・たこは「吸盤が吸いつくかどうか」で判断していました。
 正しさは、置かれた環境や状況で変わるものもあります。しっかり状況を観察し、人の意見も良く聞き、判断することが常識になると良いのですが!

座間 源頼朝在世中に坂東八番の札所に「星谷寺」

 行基菩薩が諸国教化の際当地で金光星の如く山谷に輝くのを見て、自ら聖観音の像を彫刻し、堂宇を営み星の谷観音堂として建立されたも。

 観音堂は鎌倉時代に焼失し、現在地に移されたと伝えられる。江戸時代には、坂東三十三ヶ所の第八番として崇敬を集め、1591年には徳川家康より寺領2石の朱印状を拝領している。関東以北では2番目に古いという梵鐘の他、星谷寺七不思議など古くからの言い伝えが数多くある。

質問するときの心構え!

 質問するときの心構えとして、まず「先入観を持たない」で、聞く、見る、聞く、ということでしょうか。
 現在は、学校教育の延長で、「こうあるべきだ(100点主義)」になっている傾向があるので、まずは素直になることが大事なのでしょうね。
 そして、「そうですよね」のように、相手を肯定する(否定しない)ことが大事なのでしょう!
 自己主張をすることは、それが完璧(厳格)であればあるほど、不幸な結果になることが多いようです。
 これは、子育てでも、政治でも、同じようですね!

福山 鞆 いろは丸事件の談判をした「福善寺対潮楼」

 海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています。座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。1748年、洪景海は「対潮楼」の書を残しています。
 また、「いろは丸事件」の談判を行った際,坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が実際に談判を行った場所でもあります。

年齢とともに自分の美学をもつべきだ!

 老年期になったとき、このときほど視野を広げたいもの。仕事を離れたのですから、新しいもの、違った見方が出来る自由を手に入れたのですから。
 自分が習得してきた知識に執着していると、新しい分野の情報が入らなくなります。いわゆる「頑固(他人の意見を聞こうとせず,かたくなに自分の考えや態度などを守ること)」になります。しかも、忘れることが多くなってくると、より視野が狭くなります。
 自分が手に入れた経験や知識を、いろぴろな人々に提供し、その過程で接する人々から、新しい情報を手に入れることが出来れば、異なった視点が生まれてくるのですが!

鎌倉 高い道のところに置き去りにされた「成就院」

 平安時代の初期、真言宗の開祖の空海がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法(真言を百日間かけて百万回唱えるというもの)を修したという霊跡に、1219年に鎌倉幕府第三代の執権北条泰時は京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立し、普明山法立寺成就院と称した。
 坂の頂部にあり、昔の高い道のところに置き去りにされた格好。しかも高いところを桐くづした道路の対面にも墓地がある。
 順徳天皇の1219年11月21日に開かれたが、その後兵火にあい、他へ移っていたが江戸期にまた当地へカムバック。
 寺宝としては、星の井から出た明星石のほかに本尊不動尊明王、繊細なきり金文様をそなえる千手観音像。それから文覚上人荒行像と呼びならわされているユニークな小像を持っている。

自分を自慢気に語る人はまだまだ未熟!

 日本では「本当の美しさは、不完全を心の中で完成した人だけが、見いだすことが出来る」という未完の美学があります。
 自らの内的世界に耳を澄ませることができれば、人の意見を素直に聞くことが出来、「完全」ということの危うさに気がつくことが出来ます。
 聖徳太子の「十七条憲法」の最後に、「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。(とはいえ)些細な案件に関しては必ずしも皆で議論する必要は無いが、重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、付け加えています。
 このとき、既に完成の美学に疑問を抱いていたのですね。テレビに出てくる専門家の意見は意見として、三猿の「見ざる、言わざる、聞かざる」の真逆の、「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」で、世の中の正しいことを「よく見よう」「よく言おう」「よく聞こう」と、常に自分の未熟さを意識していたいものです!!

尾道 行基菩薩創建と、真言宗醍醐派の大本山「西国寺」

 西國寺は天平年中、行基菩薩創建と伝えられ、真言宗醍醐派の大本山。 ある日、尾道に立ち寄られた行脚の中の行基はその夜、加茂明神の霊夢を見て、その御告げによってこの地に開山したと言い伝えられます。
 「織田信長を呪い殺す“調伏”がこの大寺で行われた」とか。
 昔から真言密教は、どろどろとした人間の最も暗部の欲望を開放する宗教。人を生かすことも、人を殺すことも宗教の重大な役目だったと。だから信長は光秀に本能寺で殺されたのだろうか?
 と考えてみるのも面白い。

電気代はこまめな節約が大差を生む!

 ロシアのウクライナ攻撃にのため、電気代にも影響が出ています。現在は外国との取り引きが一般化しているので、致し方ないですね。この際、思い切ってもっと節電に取り組んでみませんか。
 戦争があってもなくれも、地球の温暖化への対応が求められています。電気の節約はどうしても取り組まなければなりません。世の中の変化を冷静に受け止め、工夫していくしかないのでしょう!

厚木 起立時は萬木千草地に満ちていた「宝泉寺」

 現在の地に初めて堂宇を建立したのが、曽我の小林平馬の弟、「宗珍和尚」 で、師は43年間の在住により布教を発展させ今日の基礎を築いた。
 その後6世「悟庵珊道和尚」の時(1654年、厚木市三田「曹洞宗・ 清源院」6世玉山智存大和尚を法地の開山とし、曹洞宗・宝泉寺の1世に請した。それから今日まで、布教や伽藍・境内地の整備にと壇信徒と共に歩み、19世「大満悦道大和尚」の時に客殿庫裏を、20世「大光真道」の時、現本堂のそれぞれ落慶(2001年)を迎えた。

無意識に子供にしがみついている場合がある!

 子どもに対する家庭内暴力のニュースが頻繁に放送されるようになりました。親の子育ての歴史はそれほど長くないのかも知れません。
 というのは、核家族で生活する人が多くなったのは比較的最近のことです。また、地域の繋がりがあまり見られなくなったのも、それほど昔ではありません。
 むかしは、祖母祖父や地域が子育てに多く関わっていました。両親だけで子育てをする場面は、それほどありませんでした。
 子どもにとっては、出来るだけ多くの大人達と関わりながら、大きくなっていく経験が、大きな財産になり、自分の子育ても、条件さえ整えば、同じような環境で子育てをするようになるのでしょう!

鎌倉 ぼたもち寺ともいわれる「法源寺」

 法源寺は、ぼたもち寺ともいわれ、桟敷尼(さじきに)が龍ノ口(たつのくち)の法難(ほうなん)の日蓮にぼたもちを供養(くよう)したといわれます。大町の常栄寺(じょうえいじ)にも同じ話がありますが、桟敷尼の実家が腰越だったといわれます。境内の向かって左側の建物は、「経一殿(きょういちでん)」という額を掲げる稲荷(いなり)堂です。

社会主義は、希望から、現実になったが!

 社会主義の理想は、やはり理想だったのですね。やはり「完璧は災いの元」なのですね。完璧を目指すと。思考の幅が狭くなり、他の考え方を排除してしまいます。結果的に多様性を失い、人々は「見ざる、言わざる、聞かざる」になり、自ら思考することを忘れ、言いなりの社会になってしまいます。
 「見ざる、言わざる、聞かざる」の真逆、「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」で、世の中の正しいことを「よく見よう」「よく言おう」「よく聞こう」という姿勢で、社会の変化をよく見極めて、変化に対応したいものですね!

尾道「完璧は災いの元」と石工の祈り「御袖天満宮」

 長さ5.2m、幅32cm、高さ17cmの見癖な一本物の花崗岩を使い、上から二段目だけは、完壁なものの脆さをこばむ日本的な宗教感覚にもとずいたものであろうか、継ぎ目をつくり完成させたもの。
 上から二段目の1段のみわざと継いでいます。「完璧は災いの元」と思った石工の心遣いでしょうか。それとも、「完璧なものは神様しか造れない」ということでしょうか。
 ここにも、日本の伝統「未完成の美学」があるのですね。
 ロシアのプーチン大統領にも、「完璧に勝つことは災いの元」という風土の中で育ってほしかったですね!

悲しみを我慢すれば心の成長に歯止めが!

 泣くことはストレスを和らげます。また、笑うとエネルギーを高めます。このような感情表現を妨げているものに、「思い込み」や「エゴ」があります。これらが感情の表現をさまたげ、ストレスを蓄積していきます。
 「思い込み」の原点には情報や知識があります。自分の既存の知識の範囲でしか、物事を把握できていません。
 ありのまま、残り洩らさず状況の把握をしていれば、感情の表現が充分出来ることにつながるのでしょう!

鎌倉 木造の古建築では鎌倉一の大堂「光明寺」

 広々とした境内の正面には、大殿(本堂)が建っています。1698年(元禄十一年)の建立。現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で、本尊阿弥陀三尊ほか諸仏が祀られています。大殿右壇には、善導大師等身大立像と弁財天像が、左壇上には、如意輪観音像と宗祖法然像が安置されています。
 境内左側には、開山堂、書院、庫裡(本坊)などが建ち、また、千手院、右には、蓮乗院、繁栄稲荷大明神、鐘楼堂、延命地蔵尊などがあります。

笑うから面白くなってくる!

 未開の地に入っていくとき、まず笑顔、これが一番という。敵意がないことを知らせる信号とのこと。ヒトが協力して生きてきたことの背景に、この「笑顔」という機能を手に入れたことがあったのでしょう。そして、歴史が進み、より人がつどうことが多くなってゆき、そして、面白いと笑う、ということになったのでしょう。
 ヒトの原点に帰り、まず「笑う」ができるようになると、世の中が平和になるのでしょうね。ロシアのプーチン大統領には、最近笑顔がないですね!!

尾道 冬至の夕日が割れ目の向こうへ「岩屋巨石」

 岩屋巨石ははるか昔に人が造形したと考えられている岩です。
 この大きな岩の割れ目は、夏至の太陽が割れ目の東側から昇り、冬至の太陽が割れ目の西側へと沈むようにつくられています。それは古代からこの岩と山が人々に信仰されていた証ではないかと考えられています。
 また冬至の夕日がこの割れ目の向こうへと沈んでいく姿は絶景であり、冬至の日の前後二週間は、ほぼ同じ位置に沈む光景を楽しむことができます。
 人造の傷跡があることから、岩屋巨石のその造形は古代太陽信仰に基づいた太陽の周期とリンクしたものになっており、古代人の歴の知識が込められていると考えられます。
 また、この岩屋山の山頂には尾道水道を見渡せる絶景のパノラマビューがあり、尾道三山の寺院(千光寺、西郷寺、浄土寺)と、この岩屋山との不思議な関係を眺望することができます。

子育ての目的は自分1人で生きていけるように!

 ロシアのウクライナ侵攻で、やはり日本人の「平和ボケ」を実感せずにはいられません。ニュースなど見ていると、日本にも経済的な被害があるとのこと。これは戦争があればやむを得ないこと。日本の海外依存が増えてしまった現在、日本も我慢するべきことはでてきます。
 せめて子育てについては、平和ボケは避けたいものですが難しいのでしょう。でも、子育ての基本は、どんな社会情勢になっても「一人で生きていける」が基本なので、ウクライナの状況を見ながら、改めて考えなければならないのですが、どうしても平和ぼけの思考で考えてしまいますね!

鎌倉 廃寺禅興寺の名残りの塔頭「明月院」

 明月院の由緒
 当寺は北条時頼公の墓といわれる宝笹印塔があることでもわかるように、北条氏執権第五代の最明寺入道時頼の仏道修行の小堂がはじめでした。名君時頼を記念して時宗は禅興寺を建て、後に廃寺となったが、その名残りのたった一つの塔頭が明月院なのです。
 さすが由緒ある古い寺、上杉重房木像、北条時頼塑像という名彫刻を持ち、古都鎌倉の伝統を脈々と伝えているのです。