本堂裏手には、鎌倉では唯一といわれる「南無妙法蓮華経」のお題目が刻まれた庚申塔(こうしんとう)があります。これこれは「人まねき庚申塔」と呼ばれ、「寛文七年」(1667年)の年号があります。
法源寺は、もとは勧行寺と本龍寺の間の所にありましたが、龍ノロで処刑された人達の冥福(めいふく)を祈るため、輪番八ヵ寺のうちの一つをここに移したといわれます。
日蓮の孫弟子である日行(にちぎょう)が1318年(文保2年)に開いたと伝えられ、本尊は三宝(さんぽう)本尊で日上人像とともにまっられています。この日蓮(にちれん)上人像は一木二体の像で、一体は龍口寺の妙見堂(みょうけんどう)にまつられていると伝えられます。
法源寺は、ぼたもち寺ともいわれ、桟敷尼(さじきに)が龍ノ口(たつのくち)の法難(ほうなん)の日蓮にぼたもちを供養(くよう)したといわれます。大町の常栄寺(じょうえいじ)にも同じ話がありますが、桟敷尼の実家が腰越だったといわれます。境内の向かって左側の建物は、「経一殿(きょういちでん)」という額を掲げる稲荷(いなり)堂です。中には「経一文殊(きょういちもんじゅ)稲荷大善神(いなりだいぜんしん)」と書かれた提灯(ちょうちん)があり、稲荷神がまつられています。この経一稲荷は、龍口寺の稲荷などとともに四方から日蓮を守護(しゅご)したと伝えられています。経一とか経八というのは法華経(ほっけきょう)の一巻、八巻のことで、法華経が一巻から八巻で代表されるという意味だと思われます。
(鎌倉市教育委員会発行「かまくら子ども風土記(13版)」より)