開山は啓運日澄(にっちょう)です。日澄は、大町名越の同じ日蓮宗の妙法寺の住職をしていましたが、1483年(文明15年) にこの啓運寺を創立したということです。創立当時お堂は、松葉ケ谷に建てられましたが、その後現在の場所に移転してきたといわれています。
日澄は、博学で多くの知識をもち、徳の高い名僧といわれた人で、法華経を研究して55巻からなる『啓運抄』という書物を1503年(文亀3年)出版しています。そのほかにも多くの本を書き残した学僧でした。
カテゴリーアーカイブ: 鎌倉
鎌倉 頼義が勝利の感謝のため勧請「元鶴岡八幡宮」
鎌倉 明治天皇が神社造営の勅令を発した「鎌倉宮」
鎌倉 もとは真言宗能蔵寺だった「来迎寺」
鎌倉 今宮神社ともいう「新宮神社」
鎌倉 日限地蔵に願いを「安養院」
鎌倉 将軍御成の門があったという「妙法寺」
鎌倉 新田義貞が開基した「九品寺」
鎌倉 持仏堂があった所に「白旗神社(法華堂)」
鎌倉 平政子(北条政子)が創建した「白旗神社」
鎌倉 隠れキリシタンに門戸を開いた「光照寺」
鎌倉 佐竹氏代々の居住地にある「大宝寺」
鎌倉 孟宗竹林の竹の庭「報国寺」
鎌倉 夢窓国師が瑞泉院を建立、その後「瑞泉寺」
鎌倉 四季花が絶えない美しい庭「光則寺」
鎌倉 北条氏の氏寺であった「浄光明寺」
鎌倉 祇園天王社と呼ばれていた「八雲神社」
鎌倉 身代地蔵(裸地蔵)が有名な「延命寺」
鎌倉腰越 小動神社の別当寺だった「浄泉寺」
昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
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