「仕事」という概念を、変えなければいけない時代が近づいているようです。AIが進歩し、ロボットが人間の多くの仕事を肩代わりすると、「仕事」という概念はどのように変化するのでしょうか?
団塊の世代は、人間史上もっとも変化に対応してきた人達です。その最後の変化がAIロボット時代なのでしょう。変化を起こす側にはなれないのでしょうが、見届けることはできるのでしょう!
4月 2018のアーカイブ
尾道 渡船でミニクルージング 60円「福本渡船」
福本渡船(0.25km 3分)
【概要】 尾道駅前広場の東端付近と、向島の小歌島(おかじま)とを結ぶ航路です。3つある航路の中で最も運賃が安い渡船でもあります。尾道側桟橋入口の赤く塗られたゲートが特徴です。
【運賃】 ・旅客運賃:大人60円,小児30円
・自転車(手荷物扱い) +10円
「老後」という言葉はマスコミが大好き!
熟年になって、いままで積み上げてきたものを、遠くまで転がしていく気力が大事になってきます。しかし、”遠く”といっても、「自分が生きている間」と思っていませんか。「遠くは」子孫代々まで、100年以上、何百年先までと考えてみたらどうでしょう。「それは無理」と考えないで、”智慧の蔵”を作ってみてはいかがですか!
鎌倉 三浦一族が立て篭もった「法華堂跡」
「現代版」の贅沢な食事!
昔からの郷土食は、腸内細菌の構成を、その土地に適した状態にしてくれるのでしょうか。現在は、昔から地元で生産された食べ物だけで、料理することが難しくなってしまいました。また、大学や就職、転勤で、育った地域でずっと暮らすことも難しくなったいます。クルマを前提とした町づくり、社会づくりしか考えてこなかったためでしょう。ネット社会が進歩し、地方で地産地消の社会が復活する可能性が広がってくるのでしょうか!
厚木 かって袈裟掛けの松があった「弘徳寺」
寺の縁起によれば、親鸞が東国布教の折りに滞在した旧跡で、親鸞の嫡男・善鸞がここに草庵を結び心光院と号したのが始まりと伝わる。
1960年まで「袈裟掛けの松」というのがありました。ふつうの松の葉は二本ですが、この松の葉は不思議なことに一本だったので、「一葉の松」ともよばれました。
いい仕事をしている人の“美学”!
現在の国会を見ていると、野党議員の質問にがっかりする。議員1人当たりの国費は年1億円程度。そのお金が「文書改変の追求」や「忖度の有無の追求」に使われるのはもったいない。その役目をする組織を作れば、たとえ一人に一千万円かかったとしても、大幅に経費節減になる。参議院を廃止し、官庁の監査機関を改変強化したほうが、はるかに少ない費用で成果が期待できる、と主張する人たちがいても、少しも疑問はない!
海老名 有鹿姫の伝説「有鹿神社」
市内でも大型の一間社流造の建築です。内部は前後2室に分かれ、前室は正面扉口のほかに両倶1」面にも一本引きの建具を入れることや、向拝の造りなど特徴がある珍しい造りです。また、肘木は鋭い錆を持つ絵様肘木で、社殿に独特の印象を与えています。
建立年代は、虹梁の絵様等の意匠から18世紀中頃と考えられています。
「先人の智慧」は何でも手に入る時代!
出来合いの知識・答え、あるいは価値観やパターンを、そのニーズのない人間にいくら叩き込んでも、叩き込まれた方にとっては、それはただ記憶したにすぎない。ほとんど役に立たない。さらに重大なことは、知識や答え、価値観やパターンという、他の人間力によって生み出された結果を至上のものとし、それらをすべてに与えていくことを是としてしまう。人間として生きていくプロセスを、人びとから奪い取り、人間力を失わせていくことになる!
https://risetu.net/01tisiki_asobiba/blog_up/180422a.html
鎌倉 昼なお暗く静まりかえる「佐助稲荷神社」
佐助稲荷神社の下社と社務所があります。さらに行くと、奉納された鳥居やのぼりが立ち並ぶ参道の両側にたくさんの狐の置物がありその突き当たりに急な石段があります。その石段を上ると杉木立の中に拝殿が建っています。その裏手の石段を上がると本殿があります。境内は巨木が空をおおい、昼なお暗く静まりかえり、人里離れたかくれ里のふんいきがただよっています。
コンプレックスは観念・記憶の集合体!
悪夢や金縛りは、心に問題を抱えているのですね。
多くの心にかかえる問題は、「過去」に関すること、「将来」に関すること、なのでしょう。
「現在(現時点)」を精一杯生きなければならない場合は、”いま”を何とかしなければならないため、行動が優先し、心の問題にはなりにくいのでしょう!
尾道 のんびりとした島「向島」
現在、今治の刑務所脱走者が潜むという向島ですが、のんびりとした島です。
2007年の夏に一周したときの様子を紹介します。
今回は、尾道大橋から向島の東側から南に廻り、西側を経由し、最後は渡し船で尾道駅前まで回りました。
閉ざす言葉……「うるさい」!
「うるさい」と思うことは、たびたびありますね。ここで”一呼吸”できるようになるといいのですが。なかなかできないのは、自分の世界で考えているからなのでしょう。自分が、周りの世界に立つことは難しいですね。修業が足りないのでしょう!
厚木 相模国式内社(しきないしゃ)の「小野神社」
この神社は、延長五年(1194年)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。
現在の拝殿は、嘉永元年(1848年)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、、昭和四十三年に鉄板蓑きに替えられました。本殿は拝殿よりも1mほど高い地面に神明造りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閉香明神社、村の鎮守なり延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一にて祭神下春命という」とあります。
「おにぎり」と「おむすび」は成り立ちが違う!
玄米を炊いたものを握ったのが「おにぎり」だったのですね。玄米のおにぎりは、まだ食べたことがありませんでした。一度、試してみたいですね。健康に良いのでしょう。そして、食べやすくなっていると良いですね!
鎌倉 やぐら内の石像がとけていく「薬王寺」
この地にはもとは真言宗梅嶺山夜光寺があったとされているが、日像が由比ガ浜でお経を百日間読誦する修行を行った際、寺が荒廃しているのを見て真言宗の住職と数日間宗教論争した末日蓮宗に改宗したと言われている。
徳川忠長公供養塔の存在により、徳川・蒲生家ゆかりの寺として寺紋に三葉葵が用いられていた為、一般住民の埋骨を許さない格式由緒ある寺であった、と。
本当は初対面の人とのほうが話しやすい!
尾道 水祭りが復活した「熊野神社」
古く江戸時代から続く水祭りが復活したようです。
旧水尾町(現久保)に伝わる夏祭りで、水細工人形を陳列し、水尾町の豊かな水源を慶ぶ熊野権現神社の祭祀です。
からくり人形をで水細工の場面がつくられ、人形の手の先から水が噴水のように吹き出します。
段取りでもっとも大事なこと!
昔と違って、マニュアルが整備された時代になっています。そして、何でも”言葉”で教え、教わることがほとんどです。昔の職人さんのように、「ワザは盗むもの」といった考え方は消えかかっています。しかし、人類の歴史で、言葉でコミュニケーションを始めたのはつい最近(数千年)のこと。言葉では伝わらないものはたくさんあります。言葉では、人それぞれに違ったものをイメージすることも数多くあります。例えば「船」と聞いた場合、どんな船を思い浮かべますか!
鎌倉 江戸時代中頃から寺子屋「 千手院」
光明寺が「檀林」という仏教の最高の学問をおさめるところであったとき、各地から多くの学僧が集まってきました。千手院は、そうした学僧達の修行道場である僧坊の一つでした。代々の住職は学頭といわれ、学僧達の指導者だったといわれています。学頭の墓のいくつかが本堂左手の墓地にあります。
江戸時代の中頃からは学僧の数も少なくなったので、住職は近所の子ども達に読み書き、そろばんを教えるようになったようで、境内には寺子屋の記念碑が立っています。