福善寺寺域全体が中世山城「丹花(たんか)城」跡に立てられています。
守護大名山名宗全側近太田垣光景の子孫、但馬国城主太田垣因幡守の孫斐守が出家、名を行栄法印といい1573年尾道を訪れ、当時この地方には浄土真宗がまだ広まっておらず、行栄は近郊の住民に医業を施して生業(なりわい)とし、その傍(かたわ)ら久保町に道場を開き念仏布教を行っていた。
『ええもんは福善寺』と尾道の名物でもある入口の豪壮な山門は、龍の彫り物など木組み一式が京都の名工によって制作された。本堂は欅の紫宸殿造で人を圧倒します。
尾道では「ええもん」=「良いもの}という意味です。
カテゴリーアーカイブ: からだの散歩
相模原 西南 2012年4月出火、その後再建「下溝八幡宮」
福山 鞆の浦 鞆湾の全景が見える「医王寺」
鎌倉 材木座町内の五つの神社を一緒に「五所神社」
この神社は、1908年(明治41年)に町内にあった三島(みしま)・八雲(やくも)・諏訪(すわ)・金比羅(こんぴら)・見女八坂(みるまやさか)の五つの神社を一緒にしてまつったものです。祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)・素戔嗚尊(すさのうのみこと)・建御名方命(たけみながたのみこと)・崇徳院霊(すとくいんのみたま)・天照大神(あまてらすおおみかみ)で、毎年6月の第2日曜には盛大な祭りが行われています。境内の神輿庫には、神輿が安置されていて、「寛永十九年」(1642年)の棟札(むねふだ)がかかっています。例祭では、五所神社を出発した神輿は、昔から伝わる「天王謡(てんのううた)」を唄いながら材木座の町内を練り歩いた後、材木座海岸で海に入ります。
厚木 親鸞が布教の折りに滞在した草庵に「弘徳寺」
弘徳寺の袈裟掛けの松
飯山の千頭(せんず)に浄土真宗の弘徳寺があります。この寺に、開祖・親鸞上人が植えたと言われる松があります。松を植えるとき、親鸞が「我が信ずる本願は諸行にあらず、一向専念の宗義なれば二心並立にあらずして一心なり。この法諸仏の本意に叶うならば、二葉を捨てて一葉(ひとは)たれ」と言ったところ、一葉になったとされています。ふつうの松の葉は二本ですが、この松の葉は不思議なことに一本だったので、「一葉の松」ともよばれました。親鸞が植えた後に、覚如上人(かくにょしょうにん)が袈裟を掛けたので「袈裟掛けの松」とも言います。
この松は昭和三十五年に枯れたので、切り倒しました。今は本堂の前に根元の木口だけが残っています。またこの寺には、親鷺の子・善鸞(ぜんらん)の墓というのがあります。
尾道 瀬戸田 ここは日本か?「未来心の丘」
未来心の丘。
境内北方に位置する。瀬戸田の町と瀬戸内海を見渡せるイタリア産大理石を用いた環境芸術。彫刻家杭谷一東の作。
制作にあたって、「金は出すが、口は出さない。」と言って制作を依頼したとか。イタリアで制作し、ここで組み立て、調整した。
仏教護法の十二天よりテーマが設定されているようです。「十二天」とは、古代インドの聖典ヴェーダに登場していた神々が仏教に取り入れられ、十二天となりました。
中国では唐代に成立し、日本には平安時代前期に持ち込まれたそうです。
東西南北などの八方位に、天・地と、さらに昼・夜が加わって、十二天のかたちができあがりました。密教では曼荼羅(まんだら)に描かれ、主要な地位を占めています。
鎌倉 深山幽谷の山寺といった風情がある「浄智寺」
尾道 隠れた名所か「浄土寺山頂上」
尾道 職人の精神が石段に「御袖天満宮」
愛川 八菅の七社権現とも呼ばれる「八菅神社」
福山 鞆 初代藩主水野勝成がこの地区を開発「妙蓮寺」
鎌倉 鎌倉では珍しい五重塔「龍口寺」

龍口寺の五重の塔は明治四十三年(1910)竣工、棒造り銅板葺き、神奈川県で唯一の木造本式五重塔である。初層の上部には彫刻師、永田伊助の手になる日蓮大聖人御一代記が奉納されている。
五重の塔は、この世と、また、私たち人間を形づくっている五つの要素である
「地」、「水」、「火」「風」、「空」の五大を意味する。
尾道 柔術不遷流の開祖不遷がいた「済法寺」
厚木 親鸞聖人が御巡錫の場「弘徳寺」
鎌倉 比企能本夫妻の像が「妙本寺祖師堂」
尾道 昔の船着き場が「福本渡船 ⇔ 駅前海岸」
海老名 大型の一間社流造「有鹿神社」
鎌倉 源氏と鎌倉のつながりのできた「元鶴岡八幡宮」
元八幡は、相模守(さがみのかみ)であった源頼義(みなもとのよりよし)が京都の石清水(いわしみず)八幡宮に戦勝を祈願し、前九年の役(えき)(1051~1062年)で、奥州(今の東北)の豪族の阿部頼時(よりとき)・貞任(さだとう)に勝って京へ帰る途中、1063年(康平6年)に鎌倉に立ち寄り、由比郷鶴岡(ゆいごうつるがおか)のこの地に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を移してまつって建てたと伝えています。
後三年の役(えき)のとき、頼義の子の義家(よしいえ)が戦勝を祈り、社殿を修理したと伝えています。
1180年(治承4年)、鎌倉を根拠地としで鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)が、現在の八幡宮がある元八幡と呼ばれていますが、正しい名は由比若宮です。


















