明治時代の陸軍大将・児玉源太郎(1852(嘉永5)年~1906(明治39)年)を祀った児玉神社は、児玉が生前、江の島を非常に愛していたことから、この地に神社が創建された。
児玉公は江の島の風景を愛し、しばしば清遊した由縁により1917(大正6)年官許を得て神社創建を決し、後藤新平らの尽力により、主要な社殿が建立され、1921(大正10)年主要な社殿が建立され、7月御鎮座を了えた。1940(昭和15)年県社に列し、公の遺徳を慕う人々の奉賽が多かった。ことに境内には台湾総督時代の関係者による献納の燈籠・水盤などが見られる。
かつて児玉神社は荒れ果てていた。境内を浮浪者が徘徊したり、参拝者が拝殿に土足で上がるなど、廃絶寸前だった。こうした惨状を見かねて、山本宮司が現職を拝命(1980年5月)し、整備した。
児玉源太郎は台湾総督で、台湾近代化に尽力されたそうで、今でも台湾関係者の参拝が絶えない。十年程前、李登輝元台湾総統によって揮毫された額が掲げられた。
1895(明治28)年に下関条約により清国から割譲され、日本の植民地となった台湾だが、その経営は当時の日本政府には相当の負担であった。とりわけ各地に出没し、集団で統治機関や住民を襲撃する土匪(どひ。略奪や暴行を行う土着民)の平定は急務であった。1898(明治31)年、台湾総督に就任した児玉は民生長官の後藤新平とともに力を尽くし、彼らを恭順させ、台湾の治安を改善させた。さらに台湾の産業を振興させ、インフラを整えた。
台湾のヤシの木の多くは戦前の日本統治下時代に植林されたといわれる。
台南では戦前に日本が築いた烏山頭(うとうさん)ダムが農業・生活用水の確保に活用され、現在は年間4000万キロワット以上もの電力を生みだしている。