現在は、教わった知識、入手した情報中心で自分の行動を決めている人が多くなっているようです。
子供時代に、自然の中で遊び、また年齢の違う人達(むかしは「ガキ大将」を中心とする仲間)と接していると、感性が磨かれ、自分の考えが広がってくるようです。
考えが広がると、それぞれの場面で、複数の案が浮かび、自分の行動を無意識に選べるようになるようです。
むかしは、社会の中で暮らすことが最優先だったようです、現在は個人優先の世の中になっていますが!
カテゴリーアーカイブ: 子育て
「子どもが何に困っているかを知らない」保護者49.3%!
男女間の賃金格差の問題が続いています。その裏で、子育て問題も増えています。
また、親自身が子育てをする時間と、保育士さんに子育てを依頼する時間について、子育てにどんな影響があるのかも、それほど取り上げられていません。
とりあえず、男女間の時間給の差をなくすること、これに取り組むしかないのでしょう!
両親から怒られないように、両親の気持ちを常に考える!
子どもは、親の顔色を見ながら学んでいくそうです。
親と一緒にいる時間が少ない、あるいは、親にそれほど表情などがない、となると、子どもはなにから学ぶのでしょうか?
幼稚園や学校での学びはありますが、先生達は、どうしても手加減(褒める、しかるで)します。
「基本的な生き方の学び」では、両親以外では難しいのでしょうね。
やはり、閉じこもりや異常な犯罪に、関係しているのでしょうね!
褒められない人間は心が歪む、かも!
以前は、異常な犯罪と考えられていた犯罪が、日常化しています。そお原因は、子供時代の生活には関係していないのでしょうか?
むかしは、法律以外に社会のマナーが大事にされていました。
政治家ですら、昔は異常なことが、通常となっています。
普通の人達の暮らしの歴史を、こっと明らかにし、学び直すことも必要なのでしょうね!
厚木 雨乞いの行事をした「白山神社」
“ 子供時代に「しつけ」が曖昧になると、大人になってから、変わることは出来ない。
法律違反でなければ、何を言っても良い、という感覚が根づいてしまいます。ときには、法律さえ犯しても良いとなってしまいます。
東京都の選挙活動でも見受けられましたが、法律さえ守れば良い、ということになっています。
むかしの商人感覚では「法律は最低のマナー」とされており、もっと上のサービスを目指すことが、最低限のマナーでした。
時代の変化が早くなったため、その場だけの成功を目指すようになり、その結果、「法律さえ守っていれば良い」ということになっているのでしょうか、ときには、法律さえ無視する人も多くなっているようです?”
人は孤独に何時間耐えられるか?
よく抱いて育てられている赤ちゃんには、夜泣きが起こらないとのこと。
また、“ペタペタさわる”“ギュッと抱きしめる”“ほっぺにチュ”などのタッチングが、小さなお子さんの育児の“最大の武器”とのもと。
最近の異常な犯罪は、犯罪者の赤ちゃん時代の育てられ方がどうであったか、報道されないため不明ですが、研究している人がいるのでしょうね!
人間の脳は、一度の体験から多くのことを学ぶ!
“ 紫式部が書いた「源氏物語」は、400字詰めの原稿用紙で2300枚という。パソコンもなく、筆記用具も筆しかない時代に、大変な作業だったと思います。
しかも、多くを体験し、そのときをよく観察し、自分流に物語をつくり出すという感覚を磨き上げていたのでしょう。それは、子供時代から育てた好奇心を、磨き上げてきたことで出来たのでしょう。
現代は、実体験ではなく、教科書や書物、写真や動画、アニメそしてAIによる創作などによる情報に頼るようになっています。
五感を磨き上げ、第六感までにたどり着き、しかも、毎日その感覚を研ぎ澄ましていく、という時代はどこかにいってしまいました。
昔の子供達は、危険な遊び場が多かったので、ガキ大将が子供の年齢に応じた安全対策を考え、どのように遊ぶかを考え遊んでいました。そのガキ大将の配慮を、下の子供達は体験を通じて学んでいました。そして、自分で考える能力を身につけていました。
この体験がなくなったことが、自分でナマの情報をもとに考える、という能力が低下し、変な犯罪が増える原因になっているのでしょうか?”
自分の人生は幸せなものだった?
子供の成長には、「期待」が大きく影響するという。ただし、過剰な期待は厳禁。
状況を、ありのまま、正確に把握し、その状況に応じた期待をすることが大事ですね。
入試が終わった今、改めて、冷静に考えてみましょう。
大人になっても、「ちょうど良い期待」がどんなものか、冷静に考えなくてはならないですね!
社会に出ると完全な縦社会!
社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!
子ども時代にタテ社会の中で生きる体験!
「ガキ大将」というものが、過去のものになってしまいました。子供時代、年齢の違う子供達が、それぞれの年齢と能力を考えながら、教え・学ぶ体験を失ってしまったようです。
自然の中で、年上の子は、下の子の能力を考え、年下の子は年上の子に学び、安全で、楽しく遊ぶ経験は、大人になっても大切なものです。
特に組織の中では、周りの人たちの能力や性格を見極め、それぞれの人に応じた対応が必要です。それが、組織全体の能力につながっていきます。
「ガキ大将」が復活するとよいのですが!
子どもが一番したいことは「ダメ」と言われたこと!
子育てでは「個性を大事に」と言われます。
「子育てしているあなたの個性はどうですか」と問われると、ちょっと直ぐには返事が出来ないですね。
個性など気にしないで、好きなことを自由にやっていると(人に対し危険なことは注意が必要ですが)子供は育っていくものでしょう。
ただ、何でも出来るようにすることは、個性は育たないようですね!
子どもに親の望む「あるべき姿」を求めると!
子供の虐待の報道が増えています。親が子育てのやり方を学んでいないようです。これは、核家族の影響があるのでしょうか。
祖父母や近所の人達が、子育てに多く係わることが少なくなってしまいました。そのため、子育ての歴史的な方法の引き継ぎが出来なくなってしまいました。
むかしは、子供はもっと自由に遊んでいました。相手の顔(特に目)を傷つけるような遊びはきつく禁じていましたが、それ以外は比較的自由でした。
子育てにも、人類の歴史的な英知があるのですから、その英知を引き継いで行きたいものです!(学校教育で、特定の方向に誘導する国もあるようですが。)
叱った後は、叱り終わった合図を!
「叱る」とき、「叱り終わり」を考えてから叱っていますか?
叱る目的は、叱る相手に何かしらの改善を要求し、そして、結果を出してほしいから叱っています。
叱った結果は、どの程度改善が実現していますか?
よく見かけるのは、叱る側のストレス解消のため叱っている、と感じてしまうことがあります。これでは、叱られた側もストレスが残り、双方とも何のメリットも生まれてきません。
何かしらの改善が生まれる叱り方を、充分考えてから、叱りたいですね!
子供の時からいろんな人との接触が必要!
今は、子どもに声をかけにくい社会になっています。その結果、子供達は人を見抜く力がついていません。また、「このようなことをやると、他人(社会)からどのように見られるか」ということを、考えなくなってしまったようです。
自分が置かれている状況の、「気配」とか「殺気」も感じることが出来にくくなっているようです。
「人が絶滅しない社会」を考えたとき、どのようにすれば、どのような社会であったら、良いのでしょうか?
女性はオーラでコミュニケーションする能力がある!
「チャットGPT」が注目されています。文章作成の代行をするようです。これがどんどん進化したとき、人間の脳は、進化するのでしょうか? それとも、退化するのでしょうか?
人間、楽をするとボケが始まります。その程度なら良いのですが、帰巣本能がある「鳥」程度の生物に変わっていくのでしょうか?
しかし、人間には(特に女性には)オーラでコミュニケーションすることが出来ます。まだ、オーラは数値化できていません。これならコンピューターに乗っ取られることはないのでしょうね。しかし、未来はわかりませんね!
夢がいいのは実現を先送りできること!
「夢を保つことはいいこと」なのですが、年齢に応じた夢の持ち方もあるようです。
また、地位・財力・名誉だけの夢は、周囲に大きな危険も起こしてしまうこともあります(ロシアのプーチンさんがその典型なのでしょうね)。
小さな夢を積み重ねている内に、いつのまにか大きな結果を残すこともあるのでしょう。その本人は、大きな夢を実現したとは思ってないかも知れないですね!
バブルの頃「一卵性母娘」という現象が!
「親が子離れが出来ない」これも核家族の影響なのでしょうか?
子どもは、接する大人の数が少ないため、親を頼るようになり、親も気を使う人達が少ないため、子共中心になるのでしょうか?
やはり人づきあいが面倒なのでしょうが、親も子も多くの人達とそれなりの接触をし、社会というものの中での暮らし方を、身につけなくてはいけないのでしょう。
もう一度、人類の生き残り作戦として、社会というもののなかで、どのように暮らし方を身につけるか、考えて行かなければならないのでしょうね。SDGsは温暖化対策だけではないのでしょうから!
「もっと、もっと」と!
なぜ、自分より下の人や子供に、「もっとガンバレ」と言ってしまうのでしょうか?
取り組み方を、具体的に「こう考えれば……」と方向を示す言葉が必要なのでしょうね。
知識教育が進んだ結果、自分でいろいろな情報を五感で収集し、それをもとに対応策を考える人が少なくなってしまいました。むかしのように「やって見せて、見て盗め」が成立しにくくなっています。
知識は、基本的には過去のもの、そして、何かしらの資料、あるいは測定が出来るもので成り立っています。
最近、研究者の方のラジオ番組を文字化しました。それと、その研究者の方の本を読んでみると、ラジオの方が参考になりました。
本は、既に確定したものを修飾した表現になっています。しかし、ラジオでは「……かもしれないですね」という情報も含まれています。多少曖昧でも、それで良いのでは、と思います!
8歳~9歳の時代、「徒党を組み出し」ます!
子供のとき、自然の中で遊んでいると、{なぜ?」「なぜ?」だらけです。そして小学校に上がると、学ぶことで「そうなのか」とわかってきます。
「感覚からの情報が先」、「知識からの情報は後」、これが普通になってくると、1つの考え方にとらわれなくなり、曖昧さの中で暮らすことが普通になります。
この曖昧さの受け入れは、多様な人を受け入れることにつながり、いじめもなくなっていくのでしょうね!
本当の自分の気持ちを見極めること!
幼い時は、できるだけ自然環境の中で生活することが良いのでしょう。自然環境が、生物としての基本的な生きる機能を、身につけることができるのでしょう。
多くの生物は幼い時に、その生物としての生き方を学んでいます。人間も同じなのでしょう。
しかし、先進国の人々は、過ごしやすい環境で、言葉を基本とした教育を受けています。動物としての学びが少なくなっています。
子供達が育っていく場面も、言葉による情報がほとんどの部分を占めており、なかなか自然から学ぶ環境がありません。
いろいろな精神的な障害も、背景にはこのような問題があるのかも知れません。
危険察知の能力が身についていないこと、これが一番心配ですね!