この小町神社は、その昔鎌倉時代「丹後の局」という世にもまれな美人がおり、ひそかに源頼朝のご寵愛を受け終に局は身ごもりました。これを知った婦人政子は大変ねたみ、畠山重忠に局を由比ヶ浜で首をはねよと命じました。重忠は家臣の本多次郎に命じ局を浜へ伴い殺そうとしましたが、局の身を哀れみ身代わりを立てその場をつくろい、乳兄弟で小野の住人川上酒匂の屋敷にかくまい局を助けました。然しいつとはなくその事が政子の耳に入りその怒りは骨髄に徹する程厳しく、局は俄かに白髪の姿になってしまいました。局は心を静め考えた末、俤(おもかげ)のかわらで年の積れかし、たとえ命に限りあるとも」という古歌を短冊に書き心身を清め十七日間一心に小町姫を祈った処、満願の日に元の黒髪に戻りました。局は霊験の尊さを感じ小野の林中に小町神社を建てました。それ以後三十歳以下の男女で白髪の人が心厚く小町神社へ祈ると黒髪に変わり、遠方の人々も参詣に来る様になりました。その後局は泉州住吉で玉の様な男子を生みました。その子が後の薩摩の島津家の祖先だと人々は伝えています。
伝者 別当 小野山宮野院 (表示板より)