岩屋を正面から見ると、ほぼ三つの岩で岩屋ができている。上の大きな岩が、岩屋の天井部分になっており、その大岩を支えているのが両側の二つの岩で、それぞれが岩屋の左側面と右側面にある。
下の岩に、大きく湾曲した上の大岩が乗っている。後にもう一つの岩があり、上の大岩を文えているようです。 古代人が造営したとも言われています。これだけの重量をどのように動かしたのでしょうか? 確かに岩の重なり方は人工的とは思えるのですが。
2023年のアーカイブ
いいオーラは、ポジティブな感情から!
初めての街で、何か聞きたいとき、自然と人を選んでいます。何かしらの雰囲気がそうさせるのでしょうね。
また、知らない街に行ったとき、子供さんに挨拶をされることがあります。もちろん、街によっての違いはあるのですが、そのような街は、大人が、子供さんを大事にしている街なのでしょうね。また、子供さんも、大人を見る目があるのでしょうか。
そんな街は、また行きたくなる街ですね!
相模原 南西 小田原北条時代お堂を再建「長松寺」
鎌倉公方足利氏満開基となり、曇芳(どんぽう)(1399年没)を開山として臨済宗建長寺宝珠庵の末寺として建立。
1430年再建。その後何度か衰退を繰り返したが小田原北条氏の時代お堂が再建された。また、換室宗応(かんしつそうおう)という僧が代官平岡岡右衛門吉道とともに曹洞宗に改宗し、津久井の功雲寺末寺として再度開基された。
1649年に寺領十石の朱印状(寄進状)が与えられている。
時代の先読みが必要不可欠!
どのタイミングで、新商品や新サービスを出すか、それが新しいほど難しいですね。
生成AIですら、コンピューターがいくら進歩していたとしても、NET社会になっていなければ、それほど注目はされなかったのでしょう。
ビジネスの社会では、今の社会、今の消費者だけでなく、ちょっと先も見えてなければいけません。
そして、数十年、数百年と売り続けるには、庶民の歴史も知らなければならないですね!
尾道にこんなところが「日比崎 竜王山石仏群」
この竜王山は広島県尾道市日比崎町にある山で標高144.6mです。(尾道市には「竜王山」という名前の山が5つもあります。)
竜王山の五大明王は浮き彫り像で、不動明王は上部を浅い山型にした板状の石材を使い半肉彫りです。他の明王は船型の半肉彫りです。降三世明王は大自在天とその妃、烏摩を踏みつけて立つ三面八臂像で、軍荼利明王は一面十臂像、金剛夜叉明王は三面八臂像で、それぞれ火焔光背を負うています。細部まで丁寧に彫られた明王像で、大威徳明王は不動明王と降三世明王の後ろに隠れるように置かれています。
必要に「なるかもしれない」ものまで!
旅行でも、出張でも、宿泊先を選ぶのは大変ですね。円安ですし、国内でも値上がりしているようですし。
また、荷物をどれほどコンパクトにするか、これも大変ですね。
それに、災害もある程度想定しなければなりません。
あまり考え込まないで、気楽に行きたいものです。
鎌倉 腰越 日蓮にぼたもちを供養した「法源寺」
法源寺は、ぼたもち寺ともいわれ、桟敷尼(さじきに)が龍ノ口(たつのくち)の法難(ほうなん)の日蓮にぼたもちを供養(くよう)したといわれます。
大町の常栄寺(じょうえいじ)にも同じ話がありますが、桟敷尼の実家が腰越だったといわれます。
境内の向かって左側の建物は、「経一殿(きょういちでん)」という額を掲げる稲荷(いなり)堂です。
この経一稲荷は、龍口寺の稲荷などとともに四方から日蓮を守護(しゅご)したと伝えられています。
社会に出ると完全な縦社会!
社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!
厚木 元山王社の山王権現を祀る「知恩寺」
【智恩寺山王大権現懸仏】
江戸時代には、智恩寺境内にあった山王社にまつられていた懸仏(かけぼとけ)が、現在では本堂の中に保存されています。
山王権現とは、日吉神社・日枝神社の祭神であり、権現とは仏・菩薩が化身してわが国の神として現れることを意味しています。また懸仏は銅などの円板上に、仏像・神像を半肉彫りにあらわし、柱や壁などにかけて礼拝したもので、特に鎌倉時代から室町時代にかけての資料が多く見られます。
最も酷使されているのは“足”!
足の裏は敏感ですね。靴の中に、小さな石が入っただけで、直ぐ取り出しますね。
むかし、小学校の体育の時間は、素足で運動場を走っていました。その時は、何も気になりませんでした。
また、中学校の時、視力を失った友達は、「足の裏が目の代わり」と言っていました。
状況に応じて、敏感になったり、鈍感になったり、不思議ですね。
足の裏も含めて、足からの情報を、もっと大切にしなくてはいけませんね!
尾道 尾道で最初にできた神社「艮神社」
最上部の笠木(かさぎ)と反増(そりまし)部分(両側の反り返った所)の大きくてきれいにえがかれた曲面を持つ石鳥居は、尾道以外では余り見かけません。
非常に神聖な感じを受ける神社ですね。
この神社の真上を千光寺山へのロープウェイが通っています。ロープウェイの駅も直ぐそばにあります。
“神様の真上をロープウエイで通るなんて”この感覚は尾道的なのでしょうか。尾道には神様も仏様も(隣近所に)たくさんいらっしゃるので、あまり気にしないのですね。
人間の筋肉の70%以上が腰から下に!
「歩き方」をいろいろ試したことがありますか?
「見せる歩き方」は教室があるのですが、昔のように、1日に20~30km以上歩くための歩き方は、なかなか教わることが出来ません。
自分でいろいろな歩き方を試してみてはどうですか、坂道の多い地区で、クルマを使わない人達の歩き方は、腰(お尻)が左右に動いています。腰の辺りの筋肉も使っているようです。
都市で見かける人の多くは、太ももの筋肉で、足を前に出しているようです。腰が動いていません。
坂道や長距離を歩くには、腰あたりから上の筋肉を使うことも必要なようです!
鎌倉 腰越 日蓮の刑場(処刑中止)の跡に「龍口寺」
龍ロ法難の際、幕府に捕らえられた日蓮大聖人様がへの一晩幽閉されたと、伝えられる洞窟。
日蓮は房州の出身で、積極性と理想主義を体現した人。
南部の安房の人は、南国的で人情味に富み、積極的であり、情熱的で働き者が多いとのこと。
日蓮は政治の中心地鎌倉にきて熱心にを法華経を広めました。
そのころ、地震や火事、病気などの災害が続いたので、日蓮は、『立正安国論』を書き、「このように災害が続くのは思想が誤っている。人々が正しい信仰をもてば国が安らかになる。」と説きました。
気候の変化は生命に大きな変化をもたらした!
気候の変化(温暖化)で、アフリカの一部では雑草も生えなくなっているという。
その結果、農業をしていた人が、その土地を離れなければならないという。それだけではなく、命を落とす事例もあるという。
そういう人達は避難人として扱われず、自分でなんとかするしかなく、死に至る人もいる。
国という区分の方法も、気候変動が激しくなると、見直さざるをえない、ということになるのでしょうか?
福山 鞆 淀媛神社から医王寺へ
鞆の入江の砂浜をのんびりと歩くことも出来ます。
また、路地に入り登っていくと、途中に蘭学者、平賀源内(1728~79)の「平賀源内生祠」があります。平賀源内は、鞆の津の溝川家所有地で陶土を発見し、陶器造りを伝授しました。
交通・通信の高速化が深刻な弊害を!
交通や通信の高速化に人類はどこまで対応できるか?
交通の高速化は、伝染病の拡大につながり、通信と情報処理の高速化が、偽情報の拡散や、秘密情報の拡散につながっています。
あたかも本当のような情報も拡散し始めています。
そして、生成AIによる偽情報も、もっともっと増え、スピードを持って拡散するのでしょう。
情報も伝染病のような被害を出す可能性も広がってくるのでしょう。
実際、北朝鮮は暗号資産でロケットや原子爆弾を開発しているようです。
尾道 熊野神社から福善寺の間に「丹花小路」
伝説「丹花(たんが)の子育てゆうれい」
久保の本通り啓文社(閉店)の斜め前に細い小路があります。この小路は丹花小路といいます。
むかし、この丹花小路に一軒のあめ屋がありました。そのあめ屋では、でんぷんで作った白い『のしあめ』を売っていました。もろぶたいっぱいの『のしあめ』をのみでわって計り売りしていました。丹花小路で作られるので、丹花あめとよばれていました。そのあめ屋でそのころふしぎな出来事がおきていました。 トントン、トントン、毎晩のように遠慮深げに戸をたたく人がいました。………
ローマ帝国滅亡後、世界経済はイスラム世界に!
宗教は、建て前は精神世界ですが、実態は「お金」で考えなくてはならないようです。
やはり、ビジネス感覚が重要です。それに精神世界が取り入れられ、多額のお金を集めるしくみ、そして、子孫代々に続くしくみ、これが受け入れられたとき、大きな宗教団体ができるようです。
イスラム教もそうですが、日本では一向宗も年貢を納めず、自主的な運用で100年に及ぶ自主運営ができていました。
宗教活動にすれば、法律の適用が甘くなることも取り入れていますね!
鎌倉 弁財天を円覚寺の鎮守とした「鐘楼弁天堂」
北条貞時が、江ノ島にあった弁財天を円覚寺の鎮守として祀った。鎌倉幕府、あるいは、北条氏と江の島弁財天との関わりは、
江島弁財天は、昔から福徳金運の神様として知らており、江の島に鎮座する江島神社は、江島弁財天、あるいは江島弁天、江島明神(みょうじん)などと呼ばれて親しまれてきた。
もともと江島神社は龍神(りゅうじん)信仰から発したものであり、そこに仏教信仰が入ってきて神仏習合によって弁財天が融合したのが、鎌倉時代のこと。
緊急事態は突然やってくる!
緊急事態は突然やって来ます。そして、すぐ対応しなければならないことが多いのです。
そこで役に立つのは体験です。特に失敗の体験は多いに役立ちます。
子供時代に、この失敗の体験が出来る環境は、少なくなってしまいました。
昔は年齢の異なる子供達が一緒に遊んでいました。歳が上の子は、歳が下の子が喜ぶ遊びを考え、ケガをしない場所・方法を考え、一緒に遊んでいました。
しかし、うまくいくとは限りません。失敗を重ねながら、また、歳が中間の子は、その失敗を見ながら、経験を積み上げていました。
そのような「縦社会」の経験が、社会(社会は縦社会)に出たとき、そして緊急事態に遭遇したとき、きっと役立つのでしょうね!