尾道 西国寺伽藍配置で最南端部に造営?「熊野神社」

200331a_kumano.jpg

西国寺山南先端部にある水尾町にある神社です。
 日本最古の伽藍様式の大阪四天王寺の伽藍配置でも最南端部に造営されているのが熊野権現です。 むかしの西国寺を想像した時、この配置にも何らかの意味があるのでしょうか。
 古く江戸時代から続く水祭りが復活したようです。旧水尾町(現久保)に伝わる夏祭りで、水細工人形を陳列し、水尾町の豊かな水源を慶ぶ熊野権現神社の祭祀です。からくり人形をで水細工の場面がつくられ、人形の手の先から水が噴水のように吹き出します。

ウイルスで遺伝子(DNA)に狂いが!

200330a_DNA_kurui.JPG


 遺伝子(DNA)にはまるで「スイッチ」のような仕組みがあり、その切り替えによって遺伝子の働きががらりと変化。さまざまな体質や能力、病気のなりやすさなどが変わるようです。ウイルス感染にも、そのウイルスとDNAの防御力の相性で、症状にも違いがあるのでしょう。遺伝子スイッチの内、先祖から引き継がれているのが、どのくらいあるのか分かりませんが、日本人は、他の地域から「戦争」や「感染症」から逃げて日本に来たのでしょうから、今回の新コロナウイルスの影響も違いがあるのかも知れませんね!

鎌倉 空海が修行した霊跡「成就院」

200329a_jojuin.jpg


 平安時代の初期、真言宗の開祖である弘法大師さま空海がこの地を訪れ、景勝地だったこの地で数日間に渡り護摩供・虚空蔵菩薩求聞持法(真言を百日間かけて百万回唱えるというもの)を修したという霊跡に、1219年に鎌倉幕府第三代の執権北条泰時は京都より高僧を招き、本尊に不動明王をまつり寺を建立し、普明山法立寺成就院と称した。
 1333年新田義貞の鎌倉攻めの戦火にて寺は焼失し、奥の西が谷に移っていたが江戸時代の元禄期(1688年~1703年)に再びこの地に戻り、僧祐尊により再興され現在にいたっている。
 本尊は縁結び不動明王として信仰されていますが、最近は恋愛成就の寺院として、また、学業成就、安産、身代わりのお守りが用意されている。

一回のセキで十万粒前後の微細な粒子!

200328a_bisai_ryusi.JPG


 インフルエンザのウイルスは、湿度や温度が高くなると生存率が低くなります。しかし、新コロナウイルスはまだよく分かっていません。ただ、温度と湿度に関係していると思われる現象はあるようです。マスクで呼気の湿度を高めることで効果があると良いのですが。天気が良いときに換気をすると、湿度が下がってしまうといいます。なかなか対応は難しいですね!

尾道 捨身往生の歴史がある「信行寺」

200327a_shingyoji.jpg


 1214年に浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来。元は聖光が向島の三ツ石に一草庵を結んで住んだのがはじめである。
 1596~1614年に住職称住がこの草庵で四十八夜( 阿彌陀如来が法蔵比丘と称した修行時代に、一切の衆生を救うために立てた四八の誓願。無量寿経に説く、四十八の大願)念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、1603年現在地の下の山陽線路上の辺に移った。
 1891年山陽鉄道が開通したので、堂舎を現在地に移した。

現代人が駆け回るから世界に広がる!

200326a_hito_idou.JPG


 抗生物質は、細菌には効果がありますが、ウイルスには効果がない、とのこと。細菌に手こずった以上に、ウイルス対策はもっと大変だそうです。人類の歴史で、最悪のウイルスの一つが天然痘です。天然痘の記録は紀元前1350年頃とされている。西暦570年頃、鳥を使って石を落とし、その石に天然痘のウイルスがついており、その石に当たったエチオピア軍の兵士に疱瘡が出来、病気が蔓延したとか。また、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を征服、移住したとき、兵隊や移住者から現地人に感染し、所によっては現地人の9割が死亡したという。

厚木 血から生まれた剣の神を祀る「春日神社」

200325a_kasuga.jpg


1415年勧請、1706年再興。
祭神:武甕槌命(たけみかずちのみこと)
相殿:木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、天児屋命(あめのこやねのみこと)
 祭神の武甕槌命は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)の首を斬り落としたときに、流れ出した血から生まれた剣の神とされています。

痛かったり、腫れたりは、その症状を抑えるため!

200324a_shoujo_osae.JPG


 以前より感染症について、「人々の移動が非常に危険なこと」と指摘する人がおられました。が、現実を目にしないと、その危険を理解することは出来ないですね。これは「温暖化」についても同じなのでしょう。今回の新コロナウイルスの状況をよく見て、どのような風土を持つと影響が少ないのか、そして、どのように風土に組み込んでいくのがより安全な社会風土になるのか、よく観察し、そして、改善につながると良いのですが!

鎌倉 吾妻鏡にも載っている「岩窟不動尊(窟不動)」

200323a_iwayahudou.jpg


 不動明王像は、仏像の中にはたいへん恐ろしい顔をしています。右手に剣を持ち、左手に羂索(けんさく)(縄)を持っています。その剣で煩悩(ぼんのう)を断ち切り、羂索で煩悩を縛り、人々を救う、ということです。
 不動明王は19の特徴を備えているとされていますが、その顔は他の仏像の顔と違って、左右が対称なっていません。右目は全開しているのに、左目は細く閉じています(ただし両眼を全開したものもあります)、右目では天を見、左目では地を見ているとされています。

国によって違うジェスチャー!

200322a_jusucher.JPG


 新型コロナウィルスがイタリアで大感染を引き起こしています。イタリアは、家族が集まって食事をする事が多く、また、ジェスチャーを使ってのコミュニケーションも多い風土が原因に関わっているのでしょうか。医療体制にも原因があるのでしょうが、もともとイタリアには1000年以上にわたって、ヨーロッパの医療技術の原点になっていたのですから、対策は難しいですね!

福山 万葉集にも歌われた「昔の鞆の港」

200321a_joyato.jpg


 室町幕府最後の将軍、足利義昭は毛利輝元を頼って、1576年に鞆に移りました。長期滞在となり鞆幕府とも呼ばれました。足利義昭がまだ鞆に滞在中である1582年6月2日に、明智光秀による本能寺の変で、織田信長忠が討たれました。
 その2年前には、織田信長を裏切った武将の荒木村重は、隣の港町尾道に滞在しており(1578年10月、突如、信長に対して反旗を翻し籠城したが、その後脱出し、1580年には尾道に滞在)、また、尾道の西国寺には、長宗我部が織田信長を呪った祈祷文と思われる文書が残っているとか。鞆の港は瀬戸内海の中央にあり、瀬戸内海に面した中国、四国、北九州の情報も多かったのでしょう。また、尾道の浄土寺には、伝書鳩を使った通信の技術もあったようです。
そういえば、江戸時代に大阪の米相場の情報を、伝書鳩を使って入手していた尾道の浄土寺の言い伝えでは、「源氏は伝書鳩を使うことができたが、平家は出来なかった」とか。戦争ではローマ時代から使われていた(中国でも使われていた)伝書鳩という通信手段が、日本の歴史の中に出てこないことは不思議ですね!

手水舎で身を清める!

200320a_tyouzusha.JPG


 疫病を鎮める神社が多くあります。神社では、鳥居をくぐると手水舎の水で、手洗いと口をすすぎます。現在流行しているウイルス対策として、推奨されていることと同じです。昔の人は、現状把握とその対策、そして対策の定着化について、智慧を作り出していたのですね!

鎌倉 桓武平氏の先祖を祀っている「八坂神社」

200319a_yasaka.jpg


 八坂大神ともいう。祭神は須佐の素戔嗚尊(すさのおのみこと)、桓武天皇、葛原親王、高望王。つまり、桓武平氏の先祖を祀っています。(北条政子は平政子と称し、平家の一族です。)
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)は「古事記」では、伊邪那岐(いざなぎ)命のみの子とされていますが、「日本書紀」では、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の間に生まれたとされています。
天照大神の弟。その凶暴さによって地上また高天原を追放され、根の堅州国、或いは根の国の主神となり、その途次、出雲国にて、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治、稲田姫と結婚して宮(神のいる御殿)を営みました。
また子とともに新羅に渡り、日本に植林法を伝えたという別伝もあります(「日本書紀」一書)。暴風神・農業神・英雄神など多面的な神とされています。

お辞儀で誠意を!

200318a_ojigi.JPG


 「お辞儀」というコミュニケーションのやり方。伝染病の脅威に当面し、改めて工夫に工夫を重ねた結果つくり出されたやり方だと、先達たちの工夫の結実したものと思いました。我々が何気なく行っている風習にも、多くの工夫が込められているのでしょう。日本文化の熟成についてを、もっと気がつくことができれば良いのですが!

尾道 中世時宗の特徴をよく表している「常称寺」

200317a_joshoji.jpg


 鎌倉時代の後期の正応年間(1288~1293年)に、時宗二祖真教上人によって創建されたと伝わる古刹である。神奈川県藤沢市清浄光寺を本山とする。
 1340年に足利尊氏が七堂伽藍を建立するも、本堂だけを残して焼失、その後再建と焼亡を重ね現在に至る。 現存の本堂は、室町中期の建築で、外観を和洋、内部構成を禅宗様とし、内陣・外陣と脇陣を一体空間とするなど、中世時宗の特徴をよく表している。 南北朝時代の作、重要文化財「紙本白描遊行上人絵伝」が伝わるなど、多くの寺宝が現在に伝わっている。
 中世時宗寺院は全国的に遺存例が少なく、そのなかでも室町時代の遺構が3棟も残っている例は希少。

体に触れると親密感が高まる!

200316a_sinmitukan.JPG


 「体に触れると親密感が高まる」という事実がありながら、日本の挨拶の文化では、「握手」はありません。今回の新コロナウイルスの感染の広がりで感じたことは、日本の歴史の中で、伝染病の感染が多く、その対策で「握手」を止め、「会釈」をするようになったのでしょうか? 疫病の広がりを抑える御利益がある神社が多くありますが、免疫力の30%程度は精神的なものの影響があるので、神社に祈ることも、効果があると気がついていたのでしょうか?

厚木 火を司る火之迦具土大神を祀る「秋葉神社」

200315a_akiba.jpg


 秋葉神社は、火伏の神として全国に400社ほどあり、総本宮は静岡県にある秋葉山本宮秋葉神社です。祭神は火を司る火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)でです。明治までは秋葉大権現といわれる仏教寺院で、秋葉山三尺坊が信仰を集めていました。
 秋葉三尺坊大権現が火伏の神として全国的になるのは徳川綱吉の頃からで、秋葉山三尺坊が火伏に霊験あらたかとして宣伝されてからです。秋葉講が組織され、とくに火事の多い江戸では多くの秋葉講が結成されて、町の各所に秋葉山常夜燈が設置され、家々の軒下には秋葉大権現のお札が張られるようになりました。大勢の参詣者が秋葉大権現を目指すようになって全国各地に広がっていきました。

第三者の立場に立って自分を眺める!

200314a_jibun_nagameru.JPG


 ストレスは免疫力を低下させます。ストレスは「事実」を事実として把握するのではなく、“自分の思い”で把握する結果、「良い・悪いで判断」してしまいます。自分の価値判断で「悪い」と判断した場合、事実を正確に把握することを忘れ、ストレスにつながっていきます。とはいっても、トヨタが改善活動に使っているような「現状把握」は、なかなか難しいですね!

鎌倉 鎌倉時代に広る熊野信仰「熊野神社」

200313a_kumano.jpg


 創建年代は不詳ですが、応永年間(1395~1427年)及び永正年間(1504~1520)に社殿を再建したと伝えられ、隣接する浄妙寺が1188年密教寺院として創建していることから、1188年頃には創建されたものと推定できる。
 祭神は天宇頭女神(あめのうづめのかみ)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)です。

大自然で心を癒す!

200312a_kokoro_iyasu.JPG


 免疫力を落とさないために、気持ちをプラスにする工夫が必要です。現在は、新コロナウイルス対策で、多くの施設が休館になっています。こんなときには、自然の中で、おいしい空気を吸い、気持ちを解放するしかないですね。ただ、多くの子供さんは、安全な環境で遊ぶことが多く、一人で自然の中での遊び方を知りません。いわゆる「加減(かげん)=適度に調節すること」の経験がありません。自然を経験するチャンスなのですが、難しいですね!